2009年9月12日土曜日

こういうもんではなかろうか。

水曜日、長屋のお隣に住むおじさんが亡くなりました。下の子どもはまだ小学生。マリの男性の平均寿命が 48歳とはいえ、これはあくまで平均で、70、80まで元気なひともめずらしくないので、早すぎる気がします。早朝、奥さんが泣き叫ぶ声で目がさめて、あぁ、亡くなったんだな、とわかりました。今回の滞在で同じ長屋のひとが亡くなるのは二度目なので、さすがに気が沈みます。

前回2007年にジェンネにいたときからのお隣さんです。気の強い奥さんとは対照的に、もの静かな旦那さん。首都でおこなわれる競馬が好きで、よく鉛筆片手にチラシとにらめっこしていました。でも、つつましい生活なので、賭けることはめったになかったそう。雑音まじりのラジオでその結果を聞いて、地味に楽しんでいました。奥さんと子どもが喧嘩していると、どちらを責めるわけでもなく、どちらの言い分も、うんうん、と聞いてあげていたお父さん。年齢をたずねたことはないけど、まだ40代半ばくらいだと思います。

今年3月にジェンネにやってきたときに、「あれ?おじちゃん、ずいぶん老けたなぁ…」と思いました。前から1年しか経ってないに、10歳ちかく老けた印象。6月にはいってから畑仕事にでることも少しずつ減り、中庭にござを敷いてじっと座っていることが多くなりました。おじちゃんのあとにトイレに行くと、なんだかいやぁなにおいがしました。ご飯を食べるのも歩くのも、どこかつらそう。それでも毎日の礼拝はかかさずに、生まれたばかりの孫娘をお祈り用のござの隅っこにちょこんと座らせ、中庭でお祈りしていました。また、やんちゃざかりの息子たちを、杖でつんつん小突いて遊んであげたりもしていました。

ラマダーンの月にはいった2週間前から、部屋のなかで完全に寝込んでしまいました。病名は分からないけど、おじちゃんのその様子から、もうだめなのかな…という不安がありました。――そして、ひとがおうちで死を迎えるというのは、こういうことなんだな、と思いました。

もう起き上がることすらできないおじちゃんが寝込むその部屋の前で、子どもたちは近所の子とトランプ遊びをし、きゃっきゃとはしゃぐ。息子は側転ができるようになったと言って、自慢げにクルクル回ってみせる。孫娘がお母さんのひざの上でうんちをしてしでかしたと言って、皆がわぁわぁ騒ぐ。騒ぎすぎて、「お父さんが寝てるでしょ!」と奥さんが怒鳴る。近所のひとたちが毎朝、あいさつをしにくる。「お見舞い」という感じではなく、いつもの毎朝の挨拶と変わらない感じで、一声かけていく。奥さんと娘さんは、中庭でいつものようにトン、トン、と杵をつき、火をおこし、煮炊きをして、やわらかい部分をお父さんのために選り分ける。かまどの煙が、お父さんが横になる部屋にも、するすると入っていく。

たいていのジェンネの人は、こうしておうちで亡くなっていきます。入院するひとはごくわずか。おじちゃんはまだ若いので、もしかしたら、はやいうちに首都の大病院に入院していれば助かったのかもしれません。でもここの病院は正直、重病者が回復するまでケアできるようなレベルではありません。ちょっとした怪我の治療と内科の問診が精一杯。首都の大病院に行けば見込みはあるかもしれないけれど、ここでは病院ではまずは現金を示さないととりあってもらえず、保険も一部のお金持ちの人しか加入していないのです。入院という選択肢は、あまり大きくないのです。

わたしには、病院があったら助かったのに…という思いよりも、こうしておうちで亡くなっていくおじちゃんと、それを看取る家族を見て、「あぁ、こういうことなんだな…こういうもんなんだよな…」という思いがありました。

病院が悪いわけでも、病院に行けない状況がいいというわけでもない。なにかあったら、ただちに高度な医療のお世話になれる日本から来たわたしがこんなことを言うと、「持てる者の余裕」、安直な「田舎生活賛歌」に聞こえてしまうかもしれない。

それでも、日々の生活から隔絶されないまま、日々の生活の隅で、それを見届けながら、そのにおいをかぎながら、その音を聞きながら亡くなるというのは、人にとって当たり前のことなのではなかろうか、とつくづく思いました。ちょっと前まで見慣れなかった白衣や真っ白な壁と天井、慣れないベッド、遠慮してあまり訪ねて来ることのない親戚・近所の人・友人、聞こえてこない子どものはしゃぎ声、ただよってこない夕飯の支度のにおい。それはやっぱり、ひとの最後としては、ちょっとつまらないことなんじゃないかな、と思いました。

今回のことを見て、「マリにもっと病院を!健全な医療体制を!そのための支援を!」と思いおよばないわたしは、なにか欠落してるんだろうか。まぁそういうことにはそういうことの専門の人がおるんやから、向いてないことに気勢を上げるのはよそう。わたしは隅っこで悶々と、おじちゃんとその家族と、自分のふがいなさを思おう。

おじちゃんが亡くなった朝、たくさんの人が中庭に集まってきました。皆さん、中庭に敷かれたござに座り、その死を悼みます。一時間くらいして、近所の男性たちが、むしろにていねいに包まれたおじちゃんを部屋から運びだし、町はずれの墓地にむかいました。

ジェンネで亡くなった人は、かならずモスクの前を通って墓地に運ばれます。モスク前の広場で葬列は立ちどまり、お葬式のための無言の礼拝がおこなわれます。広場では男の子がサッカーをし、女性たちが立ち話をし、コーラン学校の生徒が木陰でコーランを読んでいます。葬列を見て、そこにいる皆は、この町の誰かが亡くなったんだと知り、ぴたっと立ちどまり、祈りを見つめます。

おじちゃんが運ばれていった後も、たくさんの人が家を訪ねてきました。男性の親族は、家のまえの路地にござを敷いて座っています。部屋の奥にひっこんで喪に服す奥さんを囲んで、親戚の女性や友人たちが、静かにおしゃべりをしています。

おじちゃんが運び出されていくとき、気丈な奥さんが必死で涙をこらえている姿や、「バーバ…、バーバ…(お父さん、お父さん)」とむせび泣く幼い息子のようすは、見ていてとてもつらかった。でも、派手な祭壇も、ビシっと着込んだ喪服も、仰々しい司会進行もなく、ただ悼むひとだけがそこに在るお葬式は、淡々と静かだったおじちゃんそのもののようでした。

あぁ、死ぬというのは、こういうもんではなかろうか、と思いました。

「これがいい」でも「こうでなくてはいけない」でも「これではいけない」でもなく、こういうもんではなかろうか、ということです。

ジェンネ語で「天国」は「ジェンネ」といいます。アラビア語起源のことばで、町の名前とおなじです。おじちゃんは、ジェンネの町から、あちらのジェンネへ召されたのでしょう。おじちゃん、からだ、だいぶしんどかったと思います。いまはどうぞ、天国で安らかに過ごしてください。

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