2009年8月29日土曜日

お薬がないなら、コーラを飲めばいいじゃない。

前回のエントリで、おなかの調子が悪いことを書きました。ジェンネではなぜか、おなかの調子が悪いとき、「コーラを飲みなさい」とすすめられることが多いのです。――というわけで今回は、ジェンネでの腹痛譚とコーラのはなしです。(ちょっとはずかしい話になるので、お食事中の方はお控えくださいまし。)

前回2007年の調査では、ジェンネに越してきてすぐにおなかを壊しました。それは、田舎特有の「遠慮せずに食べなさい、ほら、食べなさいったら!」の歓待攻撃に遭ってしまったからです。つまりは、食べすぎ(食べさせられすぎ?)でした。

いくら「本当にお腹がいっぱいなんです…」と言っても、奥さんは「遠慮しないの!あなたもこの家族の一員なんだから!」と、熱く勧めてくれます。さすがに気持悪くなり、ギブアップの意をこめて「お、おなか痛いよぅ…」と訴えたら、当然のように、「コーラ飲んだら?」とのお返事が。

「…コーラですか?」「そう。おなかがいっぱいのときは、コーラ飲むといいのよ」。このときはまだ、これはこの奥さんだけが信じている独自の治療法なのだと思って、「あはは、変わったお薬ですなぁ」などと笑ってすませました。そして、日本から持ってきた新三共胃腸薬で治しました。

そしてその2ヵ月後。またお腹をこわした私。ジェンネはスイカの季節でした。旬の時期には、一玉で250CFA(約50円)くらいと格安。日本で貧しい1人暮らしの私は、スイカ一玉1000円の特売でも、高くて手が出せません。ひと夏にスイカを食べるなんて1,2回あるかないかです。

そんな私の前に、ジェンネでは50円のスイカがごろごろと転がっている!毎日買って、長屋のお隣さんと分けつつ半玉食べぇの、冷蔵庫がないので水で冷やして楽しみぃの、たまに調子にのって一玉食べてお姫様気分にひたりぃの――案の定、お腹をこわす。

うちのトイレ(というかシンプルな穴と青空天井)は長屋の4家族共同なうえに、小さいほう用(1階の中庭)と大きいほう用(2階)が別です。なので、しょっちゅう2階のトイレに行く=お腹をこわしているということは、長屋中のひとにすぐに気づかれてしまうのです。とても恥ずかしい。トイレと部屋を行ったり来たりしている私を見かねて、お隣さんが、「ミク、あんた、お腹の調子だいぶ悪いの?」と聞いてきます。そして二言目には、「コーラ飲んだら?」

――あ、またコーラ。

前回は食べ過ぎ時の消化促進にコーラを勧められ、今回は下痢にコーラを勧められ。うーん。まったく逆の症状が、同じもの、しかもコーラで治るのか?お腹がゆるいときに炭酸飲料は大丈夫なのか?と不安になり、結局、日本から持ってきた正露丸を飲んで治しました。

そしてさらに数ヵ月後。時はマルカ・フゥの旬の季節。マルカ・フゥとは、ジェンネでよく食べられる豆の一種です。ほっくりしていて甘さがあります。形もころころ丸くてかわいい。かるく塩茹でして食べます。食べだしたらなかなか止まりません。(そこにお酒もあれば、なかなかよい組み合わせだと思うのですが。残念。)

ちなみにマルカ・フゥの「マルカ」とは、マリの民族集団のひとつです。地域によってはサラコレとも呼ばれる、主に商売に従事する人びと。中世には、マリに興った諸帝国で交易にはげんでその繁栄を支え、現在では、マリを飛び出してフランスやスペイン、中国などまで交易・出稼ぎに出かけている、商魂&フロンティア精神たくましき皆さまです。そして、「フゥ」とはジェンネ語で「ぷぅ」、つまり、おならのこと。

「なんでこの豆の名前は、"マルカのおなら"っていうの?」と聞くと、大家さんやその場にいたおじさま方いわく、「形がマルカのように丸くて、食べるとおならがでやすいからだ」。たしかに、ジェンネでは、マルカの人びとは商人でお金持ち、ゆえに、農民や漁民や牧畜民に比べると、ゆったりとした体格、というイメージです。(答えてくれたおじさんたちは、皆さんナチュラルな筋肉が美しい漁民と農民だったので、もしかしたら、商人へのちょっとした皮肉を込めた冗談だったのかもしれませんが。)

「へ~ぇ、おもしろい名前があるもんですねぇ」などと相槌をうちながらも、手は止まらずにマルカ・フゥに伸びる。相変わらずむしゃむしゃと食べていると、おじさんが一言。「そんなに食べたら、フゥが止まらなくなるぞ」。そしてさらに一言、そう、「寝る前にコーラ飲んどけ」。

――でたっ、コーラ!

ガスがたまりやすいときにもコーラなのか?コーラを勧められること三度目なので、これはさすがに無視できないと思い、コーラを売っているお店(マルカが経営)に向かいました。が、夜のためすでに閉店。別に、コーラを飲まなくても、翌日におなかが張ることはありませんでした。

さて、そんなこんなで今回です。三週間くらい前から、原因不明でおなかがゆるい。食べ物にあたったのでもない。水でもない。特に強い痛みもないので、精神的なものでもなさそう。病院に行って整腸剤や胃薬を処方されるも、効果なし。

――やはりここはコーラか?

というわけで、昨夕に1瓶、念のためきょう午前中にも1瓶のんでみました。1瓶250CFA(50円)。効果はまだ出ていません。

これが、「コーラは腹痛に効く」といううわさを流して、コーラの売り上げをアップさせようとしているコカ・コーラ社の戦略ならば、わたしはまんまとはまっています。日本にいたって、コーラを飲むことなんて年に1回あるかないかなのに。特に好きでもないのに。アメリカのモンスター企業の戦略にあっさり屈した気がして、ちょっと悔しいです。

それにしても、ジェンネの皆さんの「腹痛時コーラ信仰」、どこからやってきたんだろう。ジェンネでコーラが飲まれはじめたのは、町に電気がやってきて、いくつかのお店に冷蔵庫が設置された1997年頃からだそうです。ということは、ここ10数年のあいだに定着した信仰なのでしょうか。それとも、コーラ信仰は世界的なものなのかしら。

ともかく、お腹の調子が悪いとふらふらしてとてもだるいので、明日には効果がでてほしいところです。うーん。



【写真】直立不動の少年とスイカ。安かろうがうまかろうが、食べすぎには注意。さすがにこれだけ立派なスイカだと1250CFA(250円)くらい。わたくしの次兄・心くんがマリにて2007年末に撮影。(心くん、かわいい写真だったんで、またも勝手に使わせてもらいました。ごめん。)ちなみに兄はいま、アラスカのユーコン川をカヌーでくだりおえ、カナダにいるそうです。http://whereiskokoro.blog34.fc2.com/

2009年8月26日水曜日

お困りアテテ。

お元気ですか。わたしは長いこと、お腹は痛くない(鈍い違和感はある)のに下痢です。なんなのかしら、これは。どなたかこれをご覧になっている内科関係の人がいたら、教えてください。(ジェンネの病院に行ったら、外傷でない場合たいてい「マラリアですね~」で片付けられてしまうのです…)。それ以外はいたって元気です。

さて、マリの大統領はAmadou Toumani Touré(アマドゥ・トゥマニ・トゥーレ)といいます。マリの皆さんはかれのことを、その名前の頭文字をとってATT(アテテ)と呼んでいます。1991年に軍事政権をクーデターで倒した中心人物のひとりであり、2002年には大統領に初当選し、2007年に得票率70%ちかくで再当選。任期は2012年までです(大統領は最長二期まで。)

さて、そんなATTが、なんだか困っています。

8月上旬、マリの国会で家族法の改正案が可決されました。一部のマリの人びとが、「この改正はムスリムの在りかたに反する!」と怒っているのです。マリのムスリムにつよい影響力をもつHaut Conseil islamique(イスラーム高等委員会)も反対を表明。マリ各地の主要都市などで、大統領に改正を破棄するよう求めるデモも行われています。ジェンネでもつい先日、州知事へ要望書が提出されました。

そんなわけで、法律を通しちゃった大統領ATT、思いのほか激しい国民からの反対にたじたじ。

***

さて、問題になっている家族法の改正案がどういうものかと言いますと…いろいろ改正は行われたようですが、議論のおもな対象になっているのは、遺産相続と婚姻にかんする以下の点です。

まず遺産相続。ひとつは、婚外子の遺産相続にかんして。

新しい法律では、婚外子(婚姻関係にない男女のあいだに生まれた子ども)と嫡出子の財産分与額が均等になります。マリには、日本よりはるかに、結婚せずに子どもを生んでいる女性が多いと思います。「北欧か!」とつっこみたくなるほどの多さです。日本だとその子を産んだお母さんは社会的にも経済的にも孤立してしまいそうですが、わたしの印象では、マリのそうした女性と子どもは、親や兄弟、近所のひとに助けられながら、けっこうのんびりやっています。

ちなみに、わたしの長屋のお隣さんは、両隣ともこの例です。しかも親子二代にわたって。
まぁもちろん、既婚者とのあいだに子どもができてしまった当初は親戚からやんやと言われていたようですが、かわいい赤ちゃんがおなかからぽろっと出てくれば、皆さんでろでろ。家族だけでなく、お近所中からかわいがられています。「お父さん」はたまぁに赤ちゃんに会いに来ては、「パパでちゅよ~」と言って赤ちゃんの洋服やおもちゃを置いては、そそくさと帰って行きます。…まったく。

そんなわけで、改正後の事例にあてはまる人が多いので、当事者――婚外子である子ども、その子を産んだお母さん、「お父さん」だけどその子のお母さんとは結婚してない男性、その他あれやこれやとかまびすしい親族――にとって、この改正のインパクトは大きいと思います。「これでは結婚せずに子どもを産む女性が増えて、本来あるべき結婚の美徳が軽んじられてしまうではないか!」というのが、反対する皆さんの危惧です。

もうひとつ、遺産相続についての改正。娘と息子の遺産相続について。

あたらしい法律では、証人の前で宣言されたり、遺言状で明示された場合には、息子と娘の財産分与が均等になります。日本では基本的に相続額に男女の区別はないですが、マリではたいていの場合、そうではないそうです。つまり、これまでは、お父さんが亡くなったら娘は息子の半分以下の遺産の分け前しかもらえなかったそう。改正は、それを男女の区別なく同じ額にしよう、というものです。

さらに婚姻について。役所への届け出の義務化です。

改正法では、以前このブログでもご紹介した「行政婚」(役所で"公式に"宣誓された結婚)しか、結婚として認められないことになります。これまで長いあいだおこなわれてきた、伝統的・宗教的な結婚式だけでは、「結婚」と認められなくなるそうです。

つまり、伝統的な結婚式をしっかりとりおこなって、それによってそれぞれの家族や地域の人びとに夫婦として認められて、あぁやれやれよかった…と思って子どもを産んだら、「行政に届けてないから、あなたたちは夫婦ではないし、その子どもは婚外子ですよ」と言われるのです。

こうした、これまでマリで広くおこなわれてきた、イスラーム法にのっとった、マリの伝統にのとった遺産相続や婚姻のありかたを否定する・禁じるような改正に、人びとが怒っているのです。

また、他の改正内容には、「奥さんが商売をはじめるのに、もう旦那の許可は必要なくなる」といったものも。というか、今まで旦那の許可が必要なことを知りませんでした。

「今でも、妻が商売を始めるのに反対する夫はあまりいない。そんな男は愚か者だ。女は働き者だし、たいていの場合わたしら男より商才がある。商売を始めたかったら、奥さんから旦那さんにお伺いをたてて、夫婦で話し合って、旦那が「じゃぁ頑張ってね」と言って問題なくやってきたのに、なぜこんな「西洋的な」文言をわざわざ入れる必要があるんだ?」――とは、近所のおじさんのことばです。

彼の奥さんは、バリッバリの商魂たくましい女性で、わたしの家にもたびたび「あんただけに特別よ!いい布が入ったのよぉ」などと、なかば強引に布を売りつけにきます。

***

今回の騒動、家族法の改正は、あくまできっかけに過ぎないような気がします。大統領のこれまでのやり方に抱いていた疑問が、この「イスラームの在りかたに反する」ような改正法をきっかけに噴出した、そんな印象を受けます。

ATTのやり方は、とにかく派手です。そしてお金のにおいがぷんぷん。大規模な公共事業をばんばん行い、国営テレビで毎日自分の動向を流させ、国外遊説にも精力的。そのおかげか?、マリの経済はぐんぐん伸びつつあります。また、ムスリムが大半の国にかかわらず、ムスリムのことを嫌いな欧米からも、マリは「民主化の優等生」だとほめられています。

マリの経済発展は、「干ばつを抜けた」とも言われる安定しつつある雨量と、それによる農業の復活と、経済が安定しつつあるのに相変わらず欧米から垂れ流される莫大な開発援助金&投資、そしてたくましく世界各地に出稼ぎにいっているマリ人からの送金が最大の要因だ、とわたしは思っています。

でも、「国が豊かになったのはATTの政策のおかげだ!」といのが、二期目をねらう選挙時のかれの陣営の主張でした。実際にその主張に同意した有権者がたくさんいたからか、ATTは再選(大統領は直接選挙で選ばれます)。わたしは2007年の大統領選挙期間中もマリにいましたが、イケイケドンドンといった勢いでした。なにせかれの選挙時のキャッチ・フレーズは「Un Mali qui gagne!」(勝てる/稼げる/進歩するマリ!)。うぅん、まことにギラギラしています。

でも、二期目も一年を過ぎ、たくさんの人が、「…あれ?」と思ってきている、そんな雰囲気を感じます。(べつに私は政治アナリストではないので、以下の記述はあくまで「雰囲気」です。論文でないんで、ゆるい表現お許しを。)

というのも、最近のマリ政府は、やたらと「西洋」っぽくなろうとしている、そうなれるマリはすごいんだぞ~!おしゃれでモダンなんだぞ~!と意気込んでいる、その先頭にATTがいるからです。もちろんその背景には、そうすれば欧米からたんまりと援助金がもらえる、という事実があります。

マリは古い歴史をもつ地です。中世から帝国が栄えました。イスラームは10世紀頃からはいってきました。独自に発展してきた米作や綿花などの農業も(雨さえ降れば、川の増水さえ十分ならば)とても豊かです。そんな長い歴史のなかで築かれてきた、秩序だとか人びとの穏かさだとか生活のあり方、そういうものを尊重するよりも、「西洋」のお尻を追いかけてきゃっきゃとはしゃいでいる国のあるじに、皆さんが「チョットちがうんじゃない…?」と違和感をもちはじめたのだと思います。

わたしはマリ国民ではないけれど、部外者のわたしでさえ、なんだかマリが「プチ・西洋」になりつつある奇妙な違和感をいだいています。西洋化=悪い、というわけではないけれど、その土壌がないところに、うわべだけ西洋化のめっき(しかも安普請の突貫工事で)をほどこしても、すぐにガタがくるんでないかしらん。そんな気がします。

ATTは金髪のロングヘアーにあこがれているのかな。チリチリ縮れ毛は醜いと思っているのかな。「この縮れ毛が伸びにくいのなら、きれいに編みこんでおしゃれにしましょ!」と、さまざまな編みこみの技法を発展させてきたマリの人びとの技にこそ、「国の発展」があるように思うのですが。

まぁ、国民が大統領への反対をはっきり表明できる点、表明しても逮捕されたりしない点、しかもその表明方法が暴動ではなく、デモや嘆願書、各政治・宗教団体の声明発表という形でなされている点をかんがみると、マリはやはり「民主化の優等生」なのかもしれません。


【写真1】ATT。よく言えば、親しみやすいお顔。バッチリおめかししてるけど、どこか近所のおっちゃん風情。


【写真2】本文とは関係ありませんが、今でも「彼はハンサムだったなぁ!」とマリ人がたびたび懐かしむ、マリの初代大統領モディボ・ケイタ(1915-1977、在任期間:1960-68)。おぉ、たしかに、穏かな凛々しさ。大統領というより若き王様っぽい。ちなみに身長は198cmだったそうです。Quel homme grand!

2009年8月23日日曜日

ハウメ。

きのう土曜日から、断食月ラマダーンにはいりました。

その前日の金曜日、ジェンネの皆さんは、西の空に新月を確認していました。密集した家々の屋上で、大人も子どもも、皆がうきうきした感じでひとつの月を眺めている光景は、とてもステキでした。イスラーム暦は太陰暦なので、新月とともに新しい月が始まるのです。ラマダーンの開始を、自分たちの目で確認していたというわけ。

新月は、じゃれた子猫が空にうっかりつくってしまった引っかき傷みたいで、かぼそくて色っぽかったです。



【写真1】「オランジュとともに良いラマダーンを!」 ラマダーン中は携帯の夜間通話料も安くなります。ラマダーン中の特別サービス内容をお知らせする、携帯会社オランジュからのショート・メール。

この月のこと、また断食そのもののことを、ジェンネ語で「ハウメ」といいます。ハウはくっつける、メは口の意味なので、つまりは断食=「お口チャック」の月です。

日本語の「ダンジキ」という語は、どことなく迫力のある響き。濁点率50%だし。一方、「ハウメ」という言葉には、どこか不思議な風情が。この語は、ジェンネのラマダーンの日々を、意味だけでなく響きからも上手にあらわしているように思います。

わたしはムスリムではないので、ジェンネにいても断食はしません。それに、病院もあってないようなここで体調を崩しでもしたら、多くの人に迷惑がかかります。食べてなんぼの体づくりです。でも、これは大きな声では言えませんが、断食の「ふり」のようなものだけはします。マリは人口の90%ちかくがムスリムの国。さらに宗教都市ジェンネでは、ごく一部をのぞいて、皆さんムスリムです。ラマダーン中の断食も、「大人だったらハウメするっしょ?」という感じ。

そんななか、「わたしはスリムじゃないんでね」と言って、食べ物も水も口にしない人たちを前に、くぴくぴ水を飲んだりぱくぱくご飯を食べたりするのは…さすがに気がひける。意外と気が小さいのよ。

なので、水はお部屋のなかでひっそり飲みます。お昼ごはんは、いつもは大家さん一家と一緒に食べていますが、ハウメ中は、断食をしない小さな子どもたちと週に3回くらい細々と食べ、ほかの日は自分の家で1人で食べます。なので、人によってはわたしも断食してるように思うようで、「ミクもとうとうわれわれの仲間入り!」と喜んでくれたりします。

こう書くと、断食はムスリムのあいだで有無をいわさぬ厳格さで実行されているようですが、もちろん強制ではなく、例外もあります。ジェンネには、おとなでも体調や年齢を理由にハウメしない人もいます。しかもその「体調が悪い」の敷居が、拍子抜けするくらい低かったりします。気候がシビアですから、無理は禁物なのです。また、妊娠中・月経中・授乳中の女性は断食しません。

なんらかの理由でハウメできなければ、断食月を過ぎてからでも、決まったやり方で一定期間断食をしてリカバリーできる便利なしくみもあります。例外のない規則はない、寛容のない神はない、というわけです。

また、よそではどれくらいの年齢から始めるのか知りませんが、ジェンネでは、食べざかり育ちざかりの小さな子どもは断食しません。でも、子どもは背伸びして大人のマネをしたいもの。「あんたはまだちっちゃいからハウメしなくていいんです!さっさと食べなさい!」とお母さんに叱られても、「いや、食べない。ぼくもバーバ(パパ)と一緒にハウメする!」と言い張って食べない子も。ぷち・はんがーすとらいき。

10歳くらいになって週に1,2日くらいハウメできる年になると、オトナの仲間入りができた誇らしさがあるようです。「えぇ!?ミクはハウメしてないの?大人なのにぃ?あ、ちなみに僕はしてますけど」と、わざわざ自慢しにくるちびっ子もいます。

皆さんにハウメ中の楽しみを尋ねると、断食明け(日が落ちた後)の夕食、という人が圧倒的に多い。お昼ごはんを食べないぶん、いつもよりちょっぴり豪華です。お肉が多かったり、ミルク粥がついたり、一品が二品になったりします。そして日中の空腹を満たすため、とうぜんボリューミー。開放感から人びともごきげんで、家族全員がどことなくわいわいがやがやします。わたしの印象では、ラマダーンは苦行の月というよりも、やはり「聖なる月」。

豪華な夕食のため、ハウメの月は食費がかさみます。皆さんやりくりが大変だそうです。ラマダーン入り前日のお昼にも、「米、砂糖、小麦粉、粉牛乳のストックは国内にたっぷりありますから、ラマダーンの入り用でも品薄になることはありません。ご安心を。品薄感に便乗した値上げなどがないように、当局がちゃんとチェックしてます」というニュースがテレビで流されました。「ラマダーン品薄」が心配されるくらい、この月のエンゲル係数はアップするのでしょう。

わたしが好きなハウメ中の楽しみは、夕食よりむしろ、断食前(日が昇る前)の朝食です。日が昇ったら断食開始なので、皆さん、朝ごはんを4時とか4時半くらいにとります。せっかくなのでわたしも、この時間に一緒にとります。食事は基本的に外か外が見えるベランダや玄関間で。

早朝食の時間、空はまだ夜。日本では人里離れた山奥でしか拝めないような数の星が、わぁっと広がっています。この時期の早朝は、すこし肌寒いくらい。とっても静か。動物も眠っているため、虫の声しか聞こえません。小さな子どもはまだすやすや夢のなか。そんななか、寝ぼけ眼の大人が、長屋の中庭にぽつぽつ座っています。

この朝ごはんを食べ逃すと、前日の夜からこの日の夕方まで20時間近く、何も食べないまま過ごすはめに。なので、断食しているはずなのに起きてこない隣人がいたら、「お~い、おはよー、食べないの?」と声をかけ合ったりします。薪や炭で火をおこして、昨晩の残りものなどを温める。騒がしい昼間には意識しない、ぱちぱちという薪がはじける音と、ゆらゆら赤い火にほっとします。普段かまびすしい近所の奥さまがたも、寝起きでぼ~ぅっとしていてもの静か。寝起きで朝食を食べ終えると、まだ日の出までにはちょっと時間があるので、贅沢にも、皆さんつかの間の二度寝に戻ります。

こんなとき、「あぁ、ハウメもいいもんだなぁ」と、柄にもなくしみじみします。この雰囲気、「ダンジキ」ではないな。やっぱりここは、「ハウメ」と呼びたい。



【写真2】ある午後の中庭。ここで早朝ごはんを食べます。昼間はこんな感じ。長屋に3人もいる赤ちゃんの服が、物干しを占拠。あぁ、雨後のキラキラ太陽に映える幸せの黄色いロンパースよ。そして私より衣装もちの赤ちゃんよ。

2009年8月17日月曜日

ジェンネのパン屋さん。

パンの話。

ジェンネのパンはおいしいと思います。これほんと。

マリの主食は米を中心とした穀物ですが、パン食も都市部を中心に一般的です。60歳のおじさんいわく、「今ほどではないが、わたしが子どもの頃からパンはあったよ」。ということは、マリのパン食の歴史は、フランス植民地支配がはじまる1900年前後までさかのぼるのかもしれません。

地面も家もモスクもぜんぶ泥でできているジェンネは、もちろんパン窯も泥でできています。しかも薪と炭の火です。電気オーブンでなく「泥窯」であるところがおいしさの秘訣なんやろぅか?あまりパンに詳しくないのでありきたりな表現しかできませんが、いわゆる「外はカリカリ、中はふわっ、の素朴な味」。パンの種類は一種類のみです。きゃしゃで40cmくらいのバゲット、一本100CFA(約25円)なり。

ジェンネには、私の知るかぎり、15軒くらいのパン屋があります。ジェンネのパン職人は、ほとんどがフルベというエスニックの人たち(他の町ではどうなのか、調査したことがないので分かりません)。もともとフルベは牧畜民。たいていの場合、男性は牛の放牧、女性は乳製品の売り子をしています。そんな彼らがなぜパン屋?――近所のパン屋の男性ジャロさん曰く、

「パン屋の仕事は楽じゃない。毎朝早起きして、大量の粉をこねて、50度の気温の日でも窯の前で働いて、朝から夜までずっとパンを焼く。そんな根気と体力のいる仕事、ほかのエスニックにはできないね」

とのこと。たしかに、すべて手作業ですから、この暑さもあいまって、かなりの重労働です。「ほかのエスニックにはできない」のが本当かはともかく、自分の仕事に誇りをもっている姿は、すがすがしゅうございます。

パン工房はふつうの家の敷地内にあったり、そこらへんに小屋を建てて窯をかまえていたりします。ジャロさんに窯を見せてもらうと、けっこう立派な大きさでした。




【「こうやって窯にいれま~す」と笑顔で実演してくれるパン屋さん】焼くのは彼といとこの仕事。焼けたパンを自転車で市に持っていくのは末の弟、市場の前の道でパンを売るのはすぐ下の弟と奥さん。「近ごろ息子(4歳)がパンの成形を手伝ってくれるんだよね、僕のマネしてさぁ」とうれしそう。…だからなのか?近ごろ彼のところで買うのパンに、バゲットというには妙に短くぷくっと太ったパンが混ざりこんでいるのは。



【パン種】ちなみにパン種が入っているこのブリキ容器には、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)のロゴが。たくましき再利用。きっとかつての干ばつの時代には、この容器に数々の緊急支援食料が詰め込まれ、食糧難にあったジェンネに届けられたのでしょう。今は、もっちりと幸せそうなパンだねがほくほく寝転んでいます。

さて、なぜ突然パンのはなしをしたのかと言いますと、もうすぐイスラーム圏はラマダーン(断食の月)にはいります。パン窯を見学させてくれたジャロさんは、敬虔なジェンネの人びとのなかでもさらにストイックに断食を実行する人らしく、以前かれが、「断食中は自分の唾も飲み込まないぜ!」と豪語していたことを思い出したからです。

毎日大量の粉をこね、日に何度も火の前で汗をたらしながらパンを窯に入れる。そんな仕事のなかで、日が昇っているうちは水も摂らず、唾も飲み込まない(唾不溜飲はあくまで自己申告、あくまで心意気)とは…。ジェンネのパン屋さんはたしかに、あなたのような気合のはいった人にしかつとまらないのかもしれません。その働きっぷりを、あなたたちの神様はきっと見てくれてると思います。

ラマダーンは今週の木曜日から。

2009年8月13日木曜日

ティラフ・イジェとワラ。

雨季にはいったのに、相変わらずまともな雨が降りません。ジェンネ周辺の田畑には灌漑設備がないので、雨水が頼り。耕して種まきして、あとは例年ならもう降っているはずの雨が田に入ってくるのを待つのみ――なのですが、今年はまだ降らない。このまま収穫ゼロになってしまうのか?と、皆さんとても不安そうです。

今日はかわいいティラフ・イジェ(コーラン学校の児童)のお話。

***

お隣クンバ家の息子、ジャカリジャ君とアブ君きょうだい。ジャカリジャが10歳くらい、アブは8歳くらい。他の大多数のジェンネの子と同じく、小学校だけでなく、コーラン学校にも通っています。

いま小学校は夏休み中なので、子どもたちはコーラン学校だけに通います。ジャカリジャとアブも、朝7時頃、近所のおじいさんとその息子がやっているコーラン学校に出かけていきます。コーラン学校は、広場の木の下や先生の家の玄関間で開かれ、先生もたいていがなじみの近所の人(もちろん学を積んだ人ではありますが)。なので、「学校」というよりコーランの「教室」といったほうがしっくりくるような身近な感じです。

子どもたちは、コーラン学校に自分の木の板を持っていきます。木の板はジェンネ語で「ワラ」。アラビア語起源の語だそうです。これに先生や自分が、インクでコーランの一節を書き、なんども復唱して覚えます。覚えたらインクを水で洗い流し、また新しい節を書いて覚えます。ジェンネでは朝方、小さな子どもたちがこの板を持って、それぞれのコーラン学校へ向かっている姿が見られます。寝ぼけ眼の小さな子どもが、大きなワラを胸に抱きかかえてトコトコ歩いている姿は、とてもかわいらしい。

兄ジャカリジャは最近、いつでも自分の後をついてこようとする弟アブのことを、すこし疎ましく思っているようです。兄は弟を疎ましく思い、弟は兄の真似をしたがる、そういうお年頃の兄弟。今朝も兄は、弟を置いてひとりで先にコーラン学校に行こうとしていました。それを見つけてアブが「あっ!ジャカリジャ!ジャカリジャぁ!ねぇ、待ってよぅ」と板を抱えて急ぎます。「いっつもいっつもジャカリジャジャカリジャって、うるさいんだよお前は!」とジャカリジャが振り返りざまに言ったそのとき、アブ、急いだあまり派手にこける。ワラが落ちる。

アブはあわててワラを拾い、さっとからだをかがめて、ワラが落ちた地面を右手で触ります。その右手で自分の頭を触り、地面、頭、地面、頭――と黙ってすばやく三回繰り返す。そうしてようやく、兄のもとにトコトコと駆けていきました。普段は、毎回同じ悪さや失敗をしてお母さんに厳しく叱られ、それでもぼ~っとしているような呑気な子ですが、この動きはとてもすばやく、その姿はどこか厳かな感じすらしました。

ジェンネの子どもたちにとって、ワラはコーラン、つまり預言者ムハンマドを通じて語られた「神さまの言葉」を書き付けた板です。それを落とすということは、あぁ、せっかく覚えて頭に入れた神さまの言葉が、こぼれ落ちちゃうよぉ!――ということで、ワラが落ちた地面を触り、頭に「戻す」のです。こうした作法も、コーラン学校の先生が教えます。先生も親も見ていないところで、しかもお兄ちゃんを追いかけて大慌てのときにも、この作法をしっかり守る。そのアブの姿が、けなげでいじらしくて、きゅんとしました。


【ジャカとアブ兄弟】わたしの兄が2008年始にジェンネに遊びに来たときに撮ってくれた写真です。(心君、写真使わせてもらいました。自転車世界一周旅行中の兄のブログはこちら→http://whereiskokoro.blog34.fc2.com/)

木曜日がコーラン学校の休校日。前日の水曜日のコーラン学校では、この一週間で覚えたことを忘れないように、同じように、神様の言葉をワラからからだのなかへ「戻し留める」作業がおこなわれます。学校や先生によってそのやり方はすこし異なります。

例えば、

頭から戻し留める場合。先生が「はい、じゃぁ、載せなさ~い」と言うと、生徒が自分の頭にワラを載せ、小さなお手手でおさえます。子ども、途端に黙っておとなしくなる。その子どもたちに向かって、先生がむにゃむにゃと何か言います。コーランを留めるためのお祈りです。こうしてしっかり頭に留めます。

口から戻し留める場合。先生がそれぞれの子どもの手のひらに、コーランの一節をインクや指で書きます。子どもはそれを、ぺろっとなめる。こうして「食べる」ことで、しっかり取り込みます。

どの場合にも、先生が「はい、おしまいです」と言った途端に、子どもたちは蜘蛛の子を散らすようにさーっと駆け出し、きゃっきゃとはしゃぎながらおうちに帰っていきます。その神妙さとはじけっぷりのギャップが、実に子どもらしい。

ここの子どもには、神さまのことばというのが、比喩ではなく本当に、「からだに染み付いている」のだなぁ、と思います。まぁそのわりに、「きょう覚えたとこ復唱してみて」と私が聞くと、アブは「…ん~?忘れた~ぁ」などと言って、虫を捕まえてツンツンいじったりしているのですが…。

日本で「コーラン学校」というと、一時期、とても極端な報道がありました。「タリバーン勢力の養成学校になっている」とか言われ、ぎっしり詰まって座った子どもたちが、一心不乱にからだをゆすりながらコーランを覚えている様子ばかりがテレビで流されました。
あたかもそれが、とても奇妙で不気味なもののように。

わたしはアフガンのコーラン学校の実情をよく知りませんが、あれはやはり、偏りすぎた報道だったと思います。子どもがちょっと長い言葉を暗記しようとすれば、節をつけてからだでリズムを取りながら覚えるのは、別に妙なことではありません。ぎっしり詰まって座っているのも、単にスペースがないからか、そうしたほうが、先生が生徒を指導しやすいからでしょう。これが妙なテロップやコメントとともに流れてイメージが固定されたものだから、日本で「ジェンネの子は皆コーラン学校に通う」という話しをすると、「まぁ、ジェンネってこわいところなのね、大丈夫?」と聞かれたりします。

いやいや、そんなにこわいものではない。ふつうです。だら~っと座っていたら、もちとん先生から叱られます。よくできたら誉められます。暑くてワラでぱたぱた扇いでいたら、こらっ!と小突かれるます。先生が他の子を指導しているあいだに、子供どうしでこそこそ話をしていたりもします。がっちがちの宗教人間製造工場でも、テロリスト養成所でもありません。ふつう、です。

アブのこのかわいくてけなげな仕草も、ここだけ切り取られてカメラで撮られ、「こうして、神への徹底した敬意が身体化されていくのです!」とかもっともらしいコメントがつけば、不気味な印象を与えてしまうんだろうか?ワラと神さまの言葉を大事にしている、呑気でかわいい子どもなだけなのに。

ふとそんなことも思った、ティラフ・イジェとワラのお話でした。


【あるコーラン学校の前】あっちにもこっちにもワラ。

2009年8月8日土曜日

地底人は揺らす。

前回のエントリに続いて、「結婚式~ヒージェイ編~」を書くつもりでしたが、ちょっとおもしろい出来事があったので、そのことを書こうと思います。

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昨日のお昼、大家さんの娘さんたちと話をしていて、日本の地震の話になりました。私「日本では時々、地面が揺れる。カタカタカタって。時には地面が裂けたり建物が倒れたりして、亡くなってしまう人がいるほど大きく揺れることもあるんだよ」

それを聞いて、私より少し年上のハワがこう尋ねてきます。「なんで地面が揺れるの?地面の下に人がいて揺らしてるの?」――ごもっともな疑問です。わたしも日本には地震という現象があると言ったものの、そのメカニズムを説得力をもって解説するだけの正しい知識と高度なジェンネ語は身につけていません。

頑張って説明してみます。「人が揺らしているわけじゃないらしいんだよね…。地面の下の下の下、ずーっと深くには、大きな板があって、そのうえに私たちの地面が載っていて、畑や家が建っている。たまにその板が動いて、上までガタガタガタっと揺れるんだよね」指で砂にそれっぽい絵を描いたりして、説明してみました。

そしたらハワがさらに、「でも、なんでその板とやらが動くのよ?やっぱり、その板の下には人がいて、揺らしてるんでしょ?」――ごもっともな疑問です。このやりとりを聞いていたまわりの子どもたちも、興味津々という感じで私の答えを待っています。

ここらへんになると、私もなんで地殻とかプレートとやらが動くのか、学校で習った記憶はあるけれど、正確には説明できません。なんだか、そう確信をもって言われると、地底に住む人がゆっさゆっさ動かしているような気すらしてきました。

わたしが答えに窮して、「うーん…」「えっと…」などと唸っていると、ハワが確信をもった感じでこう続けてきました。「だから、人がいるんだって!ミクは知らないかもしれないけど、マリの地底にも昔は人間が住んでたんだよ。だいたいの人たちは地底から出てきて地上で生活しはじめたけど、まだ地底に残って住んでいる人たちもいるって話よ。きっと日本にもいるのよ、そういう人たちが。その人たちが、揺らしてるのよ」

たしかに、マリではある土地の最初の住民が「穴から出てきた」(つまり、もともとは地面より下から出てきた)という神話伝承がある地域もあります。それを嘘だ、と言えるはずもなく、わたしはますます唸ります。

「…ひとじゃないと、思うんだけどね…。地球の力っていうのかなぁ…」。あぁ、こんなことなら、中学生のときに理科の授業をちゃんと聞いておくべきだった。もしその場にインターネットがあったら、「地震 メカニズム」とかで検索をかけてすぐに出てくるだろうに、残念ながらネットははるばる歩いてネットカフェに行かないとできません。いつの間にか何でもネットでお手軽に疑問解決の自分の軽率さすら、悔やまれてくる始末。

そうこうしている間に、まわりでは「地底人が揺らしている説」で皆さんが納得の方向に向かっている模様。「それにしても地面が揺れるなんてすごいよね~」「地面の下の人が、日本にもね~」などと話しています。あ、そういえば家に電子辞書があったな、と思い出し、「わたしも何で揺れるのかよく分からないから、チョット待って!辞書にのってるかも!」と言って、いそいそと家に戻ります。

家に戻って、電子辞書で「地震」とひいてみると――

【地震(ジシン)】地球内部の急激な辺土による振動が四方に伝わり大地が揺れる現象。地殻や上部マントルに蓄積された歪みエネルギーが限度を超えると岩石が破壊され、弾性振動となって放出されて起こる。

…うーん、分からない。歪みエネルギー…なんとなく惹かれる響きではあるけれど、結局、なんで揺れるのかは分からない。もう観念して、「やっぱり、人が揺らしてるっぽいよ~」って言ってしまおうかしら。でもそしたら、「じゃぁ地面の下の人たちは、どうして揺らしてるのさ?意地悪で?」って突っ込まれそう。いや第一、かなりの確率で地底人はいないしなぁ…。地上が揺れるほどわっさわっさ揺らすには、かなりの人数の地底人が必要だしなぁ…そんなにたくさんいないよなぁ、地底人…などとしょげながら大家さんちへ。

そしたら、皆、すでに地震地底人説談義はすっかり忘れて、今が旬のとうもろこしのおいしい焼き方について、熱心に議論していました。ちなみに、とうもろこしはやはり、網焼きが一番だそうです。(日本のように醤油をかけたりしない。焼くのみ。日本のほどやわらかくて甘みはないが、こんがり固めでうま!)

――地学者の方、ごめんなさい。ジェンネの一部の地域では、日本の地震は地底人が揺らしているということになってしまいました。なんだかジュール・ヴェルヌの『地底旅行』の世界です。わたしのふがいなさのせいです。あ、それともなんですか?本当はやっぱり…地底人ですか?

2009年8月5日水曜日

結婚式~お役所編~。

小休止を終えてすでにフィールドに戻っているはずでしたが、直行バスが故障してしまい、首都に足止め。そろそろ、ジェンネにいないあいだにあちらで起きているかもしれない出来事から取り残されていやしないか、と不安になってきました。明日の夜には戻れそうです。気が急いてきます。

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さて、きょうはジェンネの結婚式のはなし。先月、二度ほど近所の人の結婚式に参加してきたんです。

3月から7月くらいは、ジェンネで結婚式がさかんにおこなわれます。特に結婚式はこの期間に、と決まっているわけではないけれど、ちょうどいい時期なのです。つまり、乾季なので雨の心配もなく、家業である農業・漁業・牧畜ともに忙しくなってくる雨季の前にすませてしまおうかね、というわけです。

最近のジェンネの結婚式には、二種類あります。役所での式と伝統的な式。役所での式は、役所語である公用語フランス語でmariage administratif(行政結婚式)。いわゆる古くからずっとおこなわれている伝統的な式は、ジェンネ語で「ヒージェイ」といいます。

ちょっと長くなるので、今回は行政結婚式の話を中心に。(ヒージェイについてはまた今度)

二種類の結婚式のうち、役所での式が先です。数日間(昔は一週間、最近は3日間が平均)つづく式の初日に、新婦はウェディングドレスを、新婦もスーツや立派なブーブー(立派な頭貫着)を着て、市役所に向かいます。結婚はしなくてもいいけど、一生に一度は、ああいういかにもドレス!という感じの一張羅を着てみたいなぁ、おなごですもの…などと思いつつ、私もそれなりにめかしこんで、カメラぶら下げついていきます。新郎新婦の同輩や若い親族たちも、同じく盛装してぞろぞろと役所へ。

日によっては5組くらいのカップルとその仲間たちがやってくるので、市役所とその前の広場は、押し合いへしあい、縁日のような賑わいです。その人びとをあてこんだジュース売りやグリオ(ひとを誉めたたえる歌を―半ば強引に―歌ってきかせてお金をもらう詩人)などもいるくらいです。皆さん商魂たくましきかな。

役所での式は、日本でいう婚姻届の提出のことです。でも、紙に記入して提出してハイ受理シマシタ、というだけではなく、その場で市の助役から結婚生活の心得を聞かせられ、2人の証人と本人たちがサインをする、という流れです。以前はこうした婚姻届を出さないまま結婚生活をしていても特に問題なかったそうですが、ここ10年ほどで「市民」とか「子どもの公教育」といった考えが田舎町のジェンネにも定着してきて、「きちんと届け出をしたほうがいいよね」という家族が増えたと言います。

さらっとおこなえば何ということもない無味乾燥な役所的な手続きですが、なにかにつけて派手好き、なにかにかこつけて盛り上がろとするマリの人たちは、それすらも華やかなお祭りにします。6畳ほどの役所の狭い部屋で新郎新婦がサインをするときには、どこからか人びとが乱入してきて、人いきれでむっとするほど。カメラマンを雇ってその様子をバシバシ撮らせたり(実は私もカメラマンとして、新婦の父親に頼まれて役所に送り込まれた)、新郎を終始ひやかすお調子者が、助役から「お前、新婦が美人だから新郎に妬いてるんだろ~、ちょっと黙っとれ」などとたしなめられたり。



助役さんが結婚生活の心得(「妻と夫は互いにいたわりなさい」とか「困難があったら二人で協力しあいなさい」など、日本の結婚式のベタな祝辞のようなもの)を言い聞かせます。助役秘書が「結婚生活の手引き」のような小冊子を見ながら小声・早口でフランス語で述べ、助役さんがそれを分かりやすく訳する形で、バンバラ語(マリでもっとも話者の多いローカル・ランゲージ)で新郎新婦に語りかけます。フランス語は公用語でも理解できない人が多いので、なじみのある言語に訳すのです。

そして最後に、一夫多妻か一夫一婦か、この夫婦はどちらを選択したのかを確認します。マリでは男性は4人まで奥さんがもてるのですが、夫婦で婚姻時に話し合って、一夫一婦を選択することも可能です。首都では一夫一婦を選択する若い世代も増えてきたと聞きますが、ジェンネではまず例外なく、一夫多妻が選択される、といいます。以前このことについて問うた私に、同年代の男性陣が口をそろえて、「ここで一夫一婦を選択したら、すでに嫁の尻に敷かれていることになるじゃないか!別に後々第二夫人を娶る予定がなくたって、ここはビシっと一夫多妻で!」とのこと。はぁ…殿方の見栄、意地…。でも、そのしょっぱなの意気込みも空しく、たいていの場合、数ヵ月後にはたいていの夫が妻の尻に敷かれているように見えなくもない。どこも一緒です。

この日わたしが見た二組も、一夫多妻制を選択。――といっても、この時点で夫に妻を複数もつ"権利"が成立しただけであって、実際にはお互いの気持ちだとか経済的な理由とかで、複数の奥さんをもつことなく終わる場合もあるようです。

さて、最後に証人と新郎新婦のサインです。新郎側、新婦側それぞれの証人がまず書類にサイン。そして、新郎新婦がサイン。この日は二組同時に行っていたのですが、どちらの新婦も学校には数年しか通っていなかったそうで、フランス語を解しません。だからサインも、たどたどしく握ったボールペンで、ぴーっと棒一本。「ペン持ったのなんて久しぶりぃ…」と恥ずかしがる新婦に、「棒一本書いときゃいいんだよ~、お前が書いたっていうのが分かればいんだから」と笑顔でたしなめる新郎が、なんともほほえましく、いつの間にか窓にもあふれている見物人も、にっこりほっこり。



たいていの子どもがコーラン学校に通うジェンネでは、アラビア語の識字率のほうが高いのかもしれません。この日の二人の新郎も、サインはアラビア語。フランス語で印刷された婚姻届の文章の下に、ぷるぷる震えた、でもどこか新婦のはじらいが愛らしく表れた棒一本のサインと、ちょっとかっこつけたシュっと丁寧なアラビア語のサイン、という並びが、なんともジェンネらしくて面白いなぁ、などと思います。

サインが終わり、助役と新郎新婦ががっちり握手。まわりの見物人から、「おめでとう」とか「チューしちゃいなよ、チュー!」などと言葉が飛び交います。新婦がはじらい、チューならず。20分たらずで式は終わりました。そして堂々と市役所から出てくる二人。新婦18歳、新郎20歳。若くて瑞々しい夫婦です。おめでとう。



結婚願望はかなりぺらぺらと薄い私ですが、こういうのを見ると人並みに、いやぁいいもんだなぁ、伴侶ねぇ…としみじみします。我が三十路ほど近く、春まだ遠し。


この後さらに、伝統的な式ヒージェイが続きます。

2009年8月1日土曜日

休み。

ちょっと調子にのって、調査中にもかかわらず一週間ほど旅行に出かけておりました。まぁ、毎日24時間が休みのようで毎日24時間が仕事のようなフィールド・ワークにあって、こうして徹底して「休み!」と決めて休むのは、よいリフレッシュになりました。

この小休止のあいだに、数ヶ月ぶりに日本語の本をいくつか入手して読みました。マリで日本語の本を入手できないうえに、調査地にいると調査に直接関係しない文献を読む・入手できる機会はなかなかないので、うれしいかぎりでした。

ということで、調査地からの近況報告というこのブログの趣旨からはちょっとそれますが、久々のそぞろ読書のメモをば。

幸田文『おとうと』新潮文庫、1968年。
岩中祥史『博多学』新潮文庫、2002年。
藤沢周平『一茶』文春文庫、2009年。
斎藤貴男『安心のファシズム―支配されたがる人びと―』岩波新書、2004年。
森達也『悪役レスラーは笑う―「卑劣なジャップ」グレート東郷』岩波新書、2005年。

幸田文は文章がとても端正で、あらゆる描写が言い得て妙。美空ひばりに「あなたお唄上」手ですね」と言うようなものだけれど、やはり、「文さん、描写お上手ですね」と言いたい。幸田文のような年上の女性が友人にいたら素敵だろうけど、こんな細やかな観察眼と表現力をもった人が自分のお姑さんだったらチョット困るな、といつも彼女の作品を読むと思います。内容はタイトル通り、自身の弟とのことを描いたものです。

『博多学』では、博多・福岡の人びとの気質が、その歴史や祭りと絡めて軽妙に紹介・説明されていきます。いたるところで福岡人が絶賛され(ヨイショされ?)ているので、福岡を愛する福岡出身者の私は、これを読んでまぁ悪い気はしません。ただ、こんなライトな資料やインタビューの収集で本が一冊書けてしかも売れちゃうんだぁ、ふぅん、いいわねぇ…、という意地悪な気持もおこりました。私はそう思われないような豊かな論文を書かないといけないな、と気持ちを引き締めさせられました。

藤沢周平の『一茶』は、俳人・小林一茶の一生を描き出す伝記もの。これもまた、しっとりとした描写がいちいち的確。彼の小説はいくつも映画化されているようだけど、まぁ確かに、邦画を作っている人はこの世界を映像化したくなるんだろうなぁ。渋いけれどどこか多くの人に共感してもらえるポピュラーな要素があり、昔の話だけれど今にも通じる人間の普遍的な弱いところも描かれている。渋さや玄人感とポピュラリティを美しく統合しているところがすごいなぁ、と思いました。ここで描かれていた一茶の意外な俗人っぷりも、切なくて良いものです。

斎藤貴男『安心のファシズム』は、ネオリベラル・ネオコンサバティヴが侵食する現在の日本や世界の状況で、「支配されたがっている」人びとはどのように形成されつつあるのかを書いたもの。携帯とか住基ネット、自動改札、ブッシュ、小泉などをめぐって、それに批判を示しながら論が展開されます。本著が思想的に偏っているとは思わないし、わたしも世界を覆うネオリベ・ネオコンには強烈な違和感と失望感をもっていますが、筆者の本著での主張の仕方が、少々うっとおしい。そのせいで、「論」というより「自分はこれが嫌い!」という地団駄踏みながらの主張に聞こえてしまう。あ、でもきっとこの印象は、彼のせいではなく、私がこの本を読む直前に幸田文の文章を読んでいたからかも。

だから、その後に読んだ森達也の『悪役レスラーは笑う』のほうが、私にはしっくりくるのです。森達也独特の、常にもそもと躊躇していて自分にどこか自信がもてないでいる感じ、でもその裏には常に、どうしても皆さんに聞いてほしいこと、共有したいことがあるんです、という緊張感もあり、また、的確で巧みなストーリーテリングの才があるところが、カッコイイなぁ、と思います。内容はうまく説明できませんが、タイトルから「プロレス本なんて…」と敬遠していてはいけません、女子の皆さん。これは薄っぺらな「ナショナリズム」への真摯な批判本です。おもしろかった。


そんなのんびりした一週間もおしまい。自分を甘やかして休みすぎて、ちょっとフィールド・ワークの感覚が鈍ってきたのでは、とちょっと心配になってきました。

というわけで、日曜日くらいにジェンネに戻ります。休みで怠けた心とからだにとっては、なんだか戦場に戻る気分です。気もちを切り替えて戻らなきゃ。