2009年11月25日水曜日

マリのミスコン。

先日、マリではミス・マリ・コンテストが開催されました。正式名称はMiss ORTMといいます。ORTMはマリで唯一のテレビ放送局(国営)です。ほかに全国規模のミスコンがないので、このテレビ局の主催で年に一度開かれる当ミスコンが、実質的なミス・マリ・コンテストです。

マリの8つの州から、各州の代表者が選ばれます。これに加えて、さらにフランス在住のマリ人代表も。フランスに住むマリ人は、パリ周辺を中心に数十万いるといわれます。これだけいれば、ミス・マリの選考にも、フランス在住のマリ人を軽視できません。

ミス応募の年齢制限は24歳とのこと。テレビで各州の代表者をみると、それぞれの州に多いエスニックに特徴的な顔のひとが見られます。北のキダル州代表は、肌の色が浅く、高い鼻にどこか憂いのある目。南のシカソ州代表は、肌の色が黒く、口角がきゅっと上がったハツラツとした口元で、おめめパッチリ。タイプはまったく異なりますが、それぞれに美人さんでございます。



美人ぞろいでけっこうなことですが、ただ、ちょっと気になる点がひとつ――皆さん細い。とにかく細い。

マリの女性のなかには、年齢を重ねると「ふくよか」か「とってもふくよか」な感じになる方が多めですが、娘さんはだいたい細めです。細いといっても、出るところは「パンっ!」とかっこよく出ている。かといって、太っているわけではない。

普段から、娘さんたちのプロポーションを、あっぱれなり! と思って見ていた扁平なわたしだけあって、選らばれたミスの皆さんを見て、ちょっとアレ?と思いました。というのも、ミス・マリなのに、マリの同年代の女性の平均からしても、細すぎる。いや、細いっていうか、あの素敵な「パンっ!」が足りなくないか?

30代半ばから上の世代くらいの人は、「女は丸くてなんぼ」といった認識の人が多い印象です。わたしもよくジェンネで、おじさんおばさん方に、「もっと太らないと子どもが産めないわよ」「そんなにぺちゃんこだと男が寄ってこんぞ」と、本気で心配されます。服を仕立てるとき、採寸しようとした仕立て屋さんから、「バストとヒップはどこですか?」と真顔で聞かれたことも。仕立て屋のおじさんよ、分かりにくいかもしれませんがね、こころなしか膨らんでいる上のほうがバストで、下のほうがヒップですよ。

そんな太め志向の壮年・中年の一方で、10代後半から20代はやせ志向。とくに都市の若者にその傾向は顕著です。若人いわく、「太い女は好みじゃない」「太りすぎは病気になりやすい」「わたしはコカコーラの瓶みたいな体型でいたい」などなど。コカコーラの瓶になりたい子のお母さんは、コカコーラの缶のほうみたいな形をしてはります。

ミス・マリの候補者の細さは、こうした若い世代のやせ志向を反映しているのかもしれません。でもなぁ、太りすぎはいかんが、あの「パンっ!」感に欠けるのもどうかと。あれこそマリの美人ってイメージなんだけどなぁ、と、勝手にちょっと不満。ま、わたしは審査員でもなんでもない、通りすがりの外国人ですが。

そんなわたしの不満や年配のマリ人の皆さんの声を反映してか、マリにはもうひとつのミスコンが存在します。「ミス・ヤヨロバ」。ミスORTMと時期は異なりますが、こちらも年に一度、盛大に開催されます。

「ヤヨロバ」とは、バンバラ語で太った女性のこと。でも単に太っているのではなく、「パワフルで愛想のよいふくよかな女性」という肯定的なニュアンスのことばです。「彼女はヤヨロバだ」というのは、ほめ言葉。エントリーする女性たちの体重は、細めなお方で80kgくらい、大きなお方で130kgとか。

以前テレビでミス・ヤヨロバ候補者の皆さんを見ましたが、たしかに、ただ太いだけではありません。どこか愛嬌がある。自分がこんなサイズに成長を遂げようとは露も思いませんが、こんなお姉さんが近所にいたら、老若男女から慕われそうだなぁ、というタイプの、ど~んと陽気な雰囲気の方々です。ミス・ヤヨロバでは、優勝のあかつきには、賞金のほかに1年分の米も進呈されます。おちゃめなマリの皆さんよ。

美の基準は地域や個人でそれぞれでしょうが、どっちもなんだか極端な、マリのミスコン事情であることよ。

2009年11月21日土曜日

わたしたちの妻。

先日、ひょんなことから、ジェンネであるイギリス人の夫婦と知り合いました。3ヶ月かけて、中古のキャンピングカーで西アフリカを回っているという若夫婦。「キャンピングカーでアフリカを回る欧米人夫婦」というと、過剰にロマンチストでやけにタフなイメージ(偏見?)がありましたが、この二人は、淡々として物静か。キャンピングカーよりも図書館が似合うような雰囲気でした。こちらの家庭料理を食べてみたい、という二人の希望があり、うちの長屋に招待しました。

こちらのスタイルで、洗面器のような器をみなで囲み、ごはんを食べました。二人は熱いごはんを手で食べることに苦戦しながらも、食事を楽しめたようで満足の様子。おうちにやってきた青い目のふたりに、ちょっと興奮気味の長屋のみなさん。わたしのたどたどしい英語通訳を介して、二人にいろいろ質問してきます。

ちびっ子たちは、もじもじしながら、「目が青いと、ぼくのことも青く見えるの?」とか、「イギリスとミクの国(日本)は近いの?」といった子どもらしい質問。サッカー好きの青年は、「マンチェスター・ユナイテッドの試合を観に行ったことはありますか?」「マリ出身のサッカー選手は、イギリスでもプレーしていますか?」などなど。

そんななか、大家さんの奥さんが、「イェル・ワンデ、ノー・ゴイ・マ?」と質問しました。訳すと、「Our wife, what's your occupation?(わたしたちの奥さんよ、あなたはなんのお仕事しているの?)」です。そのとおりに英訳して、二人に伝えました。すると、ちょっときょとんとする二人。奥さんが「Our wifeって、わたしのことですよね?」と確認してきます。

マリではよく、"わたしたち"という所有格が使われます。バンバラ語で「アンカ(アウカ)」、ジェンネ語で「イェル」。たとえそれが実際に「わたしたち」のものでなくても、親しみと軽い敬意を込めて、「わたしたちの」と表現するのです。

たとえばある男性が、友だちの奥さんのことを「イェル・ワンデ(僕たちの奥さん)」と呼んだり。これはもちろん、この2人の男性が一人の奥さんを共有しているわけではなく、友人とその奥さんへの親しみからくる表現です。ほかにも、「イェル・ハルベル(わたしたちのおじいさん)、こんにちは」とか。この場合も、必ずしもその「おじいさん」は、彼/彼女の本当のおじいさんとは限りません。

きょとんとする二人に、そういったことを説明しました。久しぶりにまともに話す英語なので、フランス語からうまく切り替わらず、なんだかちゃんぽんになってしまいます。恥ずかしい。二人はわたしのそんな変な英語もどうにか理解してくれたようで、旦那さんが、「"私たちの"妻の仕事は、画材屋の店員です」と答えました。

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ここにいると、いろんなものが「わたしたち」のもの。それは時にうっとおしいし、時に心地よい。

たとえば、「イェル・モト(僕たちのバイク)のガソリンが切れたから、ガソリン代めぐんでくれるかな?」と、突然道ばたで小銭をせがんでくる男性。小さい町なのでその人の顔は見たことがあるけど、名前も知らない。ここでは、外国人=百万長者という認識なので、こういう無心は毎日のようにあります。「貧乏だから、ガソリン買うお金がないんだよねぇ」と言い訳してくるその男性に、「そのバイクは別に"わたしたちの”じゃない。"あなたの"だ。だいたい、本当に貧乏なひとはバイクなんて買えないんじゃないですかね?」と追い返すときの、腹立たしさ。こういうときの「イェル」には、嫌悪すら感じます。

一方で、「わたしたちの」には、こそばゆい安心感もあります。わたしが大好きだったクンバはよく、他所の村から親戚や友人がやってくると、「ミク、ちょっと来な」とわたしを呼んで、皆さんに紹介してくれました。「このイェル・チュバブ(わたしたちの外国人)はミクっていってね、ザポン(日本)という国から来て、隣の部屋に住んでるのよ」。そのときの、どこかちょっぴり自慢げな彼女の表情と、「イェル」という響きは、とても大好きでした。

そんな感じで亡くなった彼女を思って切なくなりながらも、「アムールと個人主義のフランスで、ある男性がその友だちに『わたしたちの奥さん』とか言おうもんなら、『おい、お前、俺の嫁さんと何かあっただろ?!』とかいって喧嘩に発展するのかなぁ」などと、下世話なことを考えたのでした。それはそれで見ものです。

2009年11月17日火曜日

フフ・デルヴェの季節。

むかし社会科の授業で、「砂漠気候は、昼夜の寒暖の差(日較差)が大きいことが特徴」と習った記憶があります。「砂漠は暑い」というイメージしかなかった、中学生のわたし。「夜の砂漠は10度以下になることもある」という先生のことばに、ほぅ、そりゃぁすごかですね、と驚いたものでした。10年後、それを身をもってそれを実感しようとは。人生は分からないものですな。

マリは、国土のおよそ半分がサハラ砂漠に覆われている砂漠の国です。「砂漠の民」とも呼ばれるトゥアレグの人たちを除いて、人口の大半が、砂漠でない国の南半分に暮らしています。今わたしが住んでいるジェンネは、サハラ砂漠からは直線距離で300kmくらい離れているので、砂漠気候ではありません。そのすぐ南縁の、乾燥サバンナ気候です。

でもやはり、この季節(11月~2月)は、昼夜の寒暖の差がおおきい。さすが砂漠に近いだけあるわ。最近、少しずつ、朝晩は冷えるようになってきました。お昼には30度を超える気温でも、夜は毛布なしには眠れないほどです。暑い季節には、屋上か中庭で眠るわたしですが、さすがに今の時期は、部屋のなかで眠ります。そうでないと風邪をひく。

牛の群れをつれて放牧生活をする牧畜民フルベの男性などは、部屋のなかでは眠れません。日々移動なので、せいぜいテントか、外での野宿。家々の密集した村や町のなかならともかく、荒野のなかでぽつんと野宿は、かなり寒いことと思います。だからこそ彼らは、羊毛で布を織る技術を発達させたのだと思います。

マリの布はコットンが主流ですが、フルベの伝統的な布といえば、羊毛布です。牧畜民だから羊を飼っていて羊毛が手に入りやすい、というのが第一の理由でしょうが、「寒い」というのも大きな理由かと。羊さんの毛はあったかいものね。この伝統的な羊毛布、モチーフが細やかで、色調が抑えられて、とてもきれいだと思います。



防寒着が必要なのは、牧畜民にかぎりません。マリの人はそうじて、暑さには強いが、寒さにはてんで弱い。日本の冬の寒さに慣れているわたしには「ちょっと肌寒いな」くらいの冷えでも、こちらの人は「おぉ寒い寒い」とガタガタ震えています。

あるお話をひとつ。マリは元社会主義国なので、いまでも外国留学先として、旧東側のロシアやウクライナ、中国などが一般的です。旧ソ連時代、モスクワの大学へ留学したあるマリ人男性。なにを思ったか、一週間後にマリに戻ってきてしまいました。理由は、「モスクワは寒かった…死ぬかと思った」だって。ほんとの話です。

資金面・能力面ともに、誰もが行けるわけではない数年間の外国留学。それを「寒かった」からと、一週間で棒に振るなんて! わたしは、この話を聞いて「冗談やろ?」と笑いましたが、一緒に話を聞いていたマリの人たちは、「あぁ、そりゃかわいそうだ…」「寒かったろうねぇ…」と、その男性に真剣に同情。――まぁそれくらい、皆さん寒さに弱いということです。



ニット帽子をかぶり、コートをちょいとひっかけさすらうジェンネっ子。



ちいさな子どもは、この季節、たいてい防寒用にフードか帽子をかぶせられています。食べちゃいたいくらいかわいいねー。



ジェンネの月曜定期市。この日の昼の気温は30度。そんなピーカン太陽のもと、売られているのは裏地が起毛のウィンドブレーカーと毛布。昼間はどんなに暑くとも、夜にはこれが必要になるのです。

ジェンネ語で、寒さのことを「フフ」、バンバラ語では「ネネ」ですといいます。どうしてどちらもくり返すのかしら。ジェンネ語で服のことを「デルヴェ」というので、この時期のもこもこ防寒着は、「フフ・デルヴェ」と呼ばれます。

日本もすっかりフフ・デルヴェの季節なんだろうなぁ。日本の冬の朝の、「あぁ布団から出られない! でも起きないと遅刻してしまうぅ…」という、あの幸福な葛藤が、ちょっとなつかしいです。

2009年11月13日金曜日

ペイ・ドゴンの小旅行。

ちょっと自転車にひかれましたが(いきった中学生の女の子にわざと正面から衝突されたよ!)、ひじと足に擦り傷ができただけで、ひとまず元気です。

逃げたその子の名前をつきとめて、仲介人となる年配の人に付いてきてもらって、その子の親御さんに文句を言いに行きました。そこで話し合いがあってひとまず解決したけど、まだ気持ちはもやもや。その子の「珍しいもの=わたし」にたいする偏狭な態度とか、そういうことでまわりに自分を誇示しようとする根性とかを思い出したら、いやぁな気持がして夜も眠れない。子どもに甘すぎる親と小粒のヤンキーって、日本でもマリでもホントに嫌いよ、わたし。

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さて、以前にも書いたように、今月はじめ、マリ国内旅行に行ってきました。今回はその旅にまつわることについて書こうと思います。

旅先は、マリ中東部のペイ・ドゴン(フランス語で「ドゴンの郷」)と呼ばれる地域です。ここは、人類学をやっている皆さんには、豊かな神話の世界やジャン・ルーシュが民族誌映画を撮った地として知られていると思います。1989年には、ユネスコの世界遺産(文化・自然複合遺産)にも指定されました。ドゴンの神話や民族誌に興味がある方は、マルセル・グリオール『青い狐―ドゴンの宇宙哲学』(坂井信三訳、せりか書房、1986年)を読んでみてください。とても興味深いおはなしばかりですが、長くなるのでここには書きません。

ペイ・ドゴンは、標高200~500mくらいのほぼ垂直の崖が、200kmにわたって、南北に走っている場所です。太古(カンブリアン期、約5億4500万年前~約5億0500万年前くらい)に地面が裂けた跡である崖。とても静かにすくっとそこにある崖の姿は、たいへん荘厳です。

ドゴンという民族の人口は、マリと隣国ブルキナ・ファソに約70万人(ガイドさん談)。たくさんの民族が共生するマリのなかでも、少数民族です。ドゴンの皆さんは、この崖ぞいに村を形成し、畑を耕して生活しています。観光地として有名なので、フランス語を話せる若い男性は、外国人向けの観光ガイドの仕事にも就いています。

マリのひとはよく、じぶんや友だちの民族のステレオタイプを、冗談でからかいあいます。たとえば、漁民であるボゾのイメージは、「いつも魚を食べている、ほんのり魚くさい、泳ぎが魚のように上手」とか、商人であるサラコレは「お金にうるさい、いつもお金を数えている、頭がきれる」、牧畜民であるフルベは「自分より牛が大事、ほんのり牛乳くさい、初対面の人にも社交的」といった感じ。(当たっている部分も多いから面白い。)

そうしたステレオタイプを前提にして、肉を食べている漁民ボゾの友だちに、「おい、肉なんか食べてお腹こわさないか?」と言ってみたり、ちょっと暗算を間違った商人サラコレの友だちに「お金にうるさいサラコレなのに、そんなありえへんミスを!?」とつっこんだり。一見毒舌ですが、これがなんというか、同年代で異なる民族の人たちが集まった場合の、典型的なコミュニケーション術です。とっても楽しそうに、うひうひ笑いながら、それぞれの民族のステレオタイプをからかいあいます。

そんな異民族ジョークのなかでも、ドゴンの人はとくに特徴的。わたしの知っているドゴンの人は、「わたしはプチ・ドゴン(ちっちゃなドゴン)です。両親はいまも崖に住んでます。好きな食べ物は粟とたまねぎ」と自己紹介したりします。ドゴンのひとは他の民族に比べて小柄。そして崖のすぐ下に村を形成し、おもに粟とたまねぎを育てている。「田舎の崖で粟とたまねぎばかり食べている小柄な人たち」というドゴンのイメージを相手からジョークにされる前に、じぶんからネタをふる、といった感じです。そのイメージ通り、わたしが知っているドゴンの人は、小柄でどこか控えめで、穏やかな人が多い気がします。

さて、そんなドゴン・ジョークをこれまでよく聞いていたのですが、実際にドゴンの村々を訪れたのは今回が初めてでした。トレッキングで崖をくだり――階段などはなく、足元がおぼつかなかったので写真はとれず――、ドゴンの村に着きました。旅程が2泊3日だったのでちょっと駆け足でしたが、いくつかの村を崖沿いに徒歩でまわり、夜は村に宿泊(電気・ホテルはありません)。最終日は、崖のぼりをして帰ってきました。「山歩き」というにはスリリングすぎる、崖を「よじ上る」感じですので、この旅程は、高所恐怖症の人や運動が極度に苦手な方にはおすすめできません。



早朝。





崖に寄り添うようにこじんまりと家々が立ち並び、そこから静かにかまどの煙がたちのぼり、犬や羊の鳴き声、女性が粟を杵つくこんこんという音が崖にこだましていました。その村のたたずまいに、ふと、東淵明の『桃花源記』を思い出しました。アフリカにいながら、漢詩、水墨画の世界。

崖に沿って、700の村が存在するそうです。ドゴンのことばにはたくさんの方言があり、せっかく地元っ子であるガイドさんに教えてもらったドゴン語のあいさつも、ちょっと離れた村に行くといまいち通じなかったりしました。



一緒に旅したのは、世界中で旅したりお仕事したりしている、快活でとっても美人な日本人女性。マリの首都バマコで知り合いました。彼女とこの崖の連なりを見やりながら、「いやぁ、それにしても、人間ってどんなとこにも住みつくもんだね~」と感心しきり。


マリは、地理的にも民族的にも、ほんとうにさまざまな顔をもった国です。ジェンネからドゴンの地は直線距離で200kmほどしか離れていませんが、ことばも住む人びとも村のたたずまいも、家の建築方式も、まったく異なる。マリの奥深さを見せつけられた、ペイ・ドゴンの旅でした。

2009年11月11日水曜日

「おじいさん」がやってきた。

日本でもそろそろ、クリスマス・年末商戦がはじまるころでしょうか。イスラーム暦(陰暦)のこちらは、あと一週間ほどで12月にはいります。ひと足先に「年末」です。

イスラーム圏では、この月のまんなかに羊の犠牲祭がおこなわれます。アラビア語ではイード・アル=アドハーと呼ばれるそうですが、マリを含む西アフリカのイスラーム圏では、「タバスキ」と呼ばれます。盛装して皆でお祈りをし、友だちの家を賑々しくあいさつしてまわり、ほふった羊を家族みんなであますところなく食べ――という、厳かかつ楽しいお祭です。このお祭りのときには、都市や外国で働いている家族も帰省したりして、ちょうど日本のお正月のような雰囲気。(ただし、日本の祭りに欠かせないお酒はご法度です。)

あと数週間でおこなわれるタバスキ用の羊が、我が家にやってきました。タバスキの日、マリではたいていの家で、一家に一頭の羊がほふられます。家で羊を飼っているご家庭はその羊をほふりますが、わたしがお世話になっている大家さんちには、羊がいません。なので毎年、お祭りが近くなると、市場や牧畜民である知り合いから仕入れてきます。

ジェンネで定期市が開かれる月曜日、大家さんがたいへん満足げな表情で、羊を連れて市から戻ってきました。いつもはお祭りの一週間くらい前に買うので、すこし早い今年の羊さん登場に、子どもたちも大興奮。「ンベー(羊の鳴きまね)だ!ンベーが来た!」「ねぇ、ダーダ(パパ)、これうちで飼うんだよね? 名前つけていい!?」とはしゃいでいます。

大家さん、ずいぶん奮発したようで、今年の羊はいつにもましてご立派。大家さんに値段をたずねると、むふむふうれしそうな顔をして、「けっこう高かったな」言うだけです。値段を明かしてくれません。おととし聞いたときは10万CFA(2万円くらい)とのことだったので、それ以上のお値段かと。大家さんちはジェンネのなかでも比較的お金のあるほうですが、それにしても、たいへんなお買い物です。この出費もすべては犠牲祭を祝うため。一家の大黒柱にとって、この日のためにこのような立派な羊を買えるというのは、甲斐性がある証拠、誇らしいことなのです。

そんなこんなで、この羊さんがほふられるまでしばらくは、庭に羊がいる生活です。大家さんちのちびっ子たちが、さっそく羊に名前をつけました。「ハルベル」といいます。年配のひと、おじいさん、という意味のジェンネ語です。実際はおじいさんと呼ばれるほどの年でもないのでしょうが、ご立派なわりにカモメのような緩い曲線の角、おとなしい性質の羊のなかでもさらにもっそり動くこの羊によく合った、良い名前だと思います。

この羊さん、いつもは中庭の隅で呑気に草をはんでいますが、なぜか夜中は、わたしの部屋のドアのまん前に移動して眠ります。初日だけたまたまかと思ったら、その後もずっと。なにか羊に心地よい「気」が、わたしの部屋の前に漂っているのでしょうか。夜中にトイレに行こうとドアを開けると、「…んべへぇっ」という間抜けな悲鳴が。どうやら、勢いよく開いたドアが羊にしたたか当たってしまったようです。「あ、すいません、寝ぼけてたもんで…」と謝りながら、羊をまたいでトイレへ。なんと牧歌的な生活。

「ハルベル」、すてきな響きの名前ですが、あまり名前を呼んでかわいがると、お祭りの日においしくいただけなくなってしまいそうで…。わたしこう見えて、けっこう情の動きやすいたちなのです。犠牲祭は羊を食べてなんぼですから、ドライに「羊さん」と呼ぶにとどめ、しばし、羊のいる生活を楽しもうと思います。



「ハルベル」とその名付け親の3人。羊の横で、いっちょ前にキメキメの表情の小学2年生がかわいらしい。

2009年11月6日金曜日

ジェンネっ子の誇りが…

きのう18時過ぎ、ジェンネのモスクの一部が壊れてしまいました。町で唯一にして世界最大の泥の建築物であるこのモスク。ジェンネっ子の誇りです。

現在、ある外部団体の支援によるプロジェクトで、ジェンネのモスクを修繕中。その工事中に起きてしまった事故です。修繕のため壁を削っていたところ、削りすぎたようで、壁が薄くなった部分が崩壊してしまいました。けが人もでました。

町のシンボル一部崩壊のニュースは、たちまち町中にかけまわりました。知らせを聞いてすぐ、18時半ころにモスク前に駆けつけると、すでに黒山の人だかり。たいへんな騒ぎです。老若男女、みな心配そうな表情でモスクを見上げています。

正面の壁の一部が、幅5mくらいにわたってなだれ落ちていました。いつも静かに美しいたたずまいのモスクを目にしてきたので、一部の崩壊といえど、これはなかなかショッキングな光景。事故で顔にけがを負ってしまった美しい女性を見るようで、痛々しいです。

昨夜はすでに日が暮れていて写真を撮れなかったので、きょう早朝に写真を撮りに行きました。すると、カメラをかまえるわたしを、あるおじいさんが止めにきました。彼はきれいなフランス語で諭すように、「お嬢さん、これはわたしたちの誇りであるモスクだ。そのモスクのこんな惨めな姿を、写真には撮らないであげておくれ」。

わたしもこのジェンネのモスクは大好きで、この姿には胸が痛むので、おじいさんがこう言いたい気持も分かります。でも調査のためには、これはぜひ撮っておきたいところ…。あぁ困ったなぁ…と思っていたところ、モスクの修繕工事で働いている近所の大工さんが通りかかり、助け舟を出してくれました。「この子はジェンネに住んでいる子です。このモスクの姿を写真に撮って、どこかに売りつけようとしているわけじゃないんですよ。彼女の勉強のためです」と、おじいさんに説明してくれました。

というわけで、おじいさんも理解してくれて写真におさめたのですが、やっぱりモスクと住民のことを考えると痛々しいので、ここに載せるのはやめておきます。わたしも、例えば、じぶんのお母さんが体調がすぐれないときの写真など、他人に見せたくないもの。ジェンネっ子の皆さんも、それに近い感覚なのではないでしょうか。

このモスク修繕プロジェクトにかんしては、住民とプロジェクトの側でいろいろな誤解や説明不足があり、着工前の2006年には、逮捕者やけが人もでる騒動も起きています。それをどうにかこうにか鎮めて、今年にはいってスタートした修繕工事。作業員はジェンネの大工さんですが、現場の指揮者はプロジェクトから派遣されている外国人です(ただし「チュバブ(白人)」ではなく、欧州在住のアフリカの人)。この壁の一部崩壊で、また住民のあいだにプロジェクトや外国人への疑心や不信感が生まれて、ややこしいことにならないことを祈ります。

今回の崩壊について、いろんな人に意見を聞いてまわると、皆さんそれぞれに違うことを言います。たいていが、作業員の仕事のしかたやプロジェクトそのものに対する不満です。でも最後は必ず、「…でも、これも神さまがなすったことだ。神がそう望まれたのなら、われわれにはどうしようもない」と締めくくります。

壁の崩壊はたしかに人為的なミスだろうし、住民の皆さんもそれは十分承知のようですが、最終的にはそれもひっくるめて「神さまのなすったこと」と考えることで、いらぬいざこざやわだかまりが和らぐのでしょうか。

正直たまに、ジェンネの皆さんの敬虔さには、「なんでも"神さまのおぼしめし"とか言って、じぶんたちで努力できる/すべきところも放っているのではないか。それでいて現状に不満ばかり言って…」と思うこともあります。でもこういう場合には、信仰が対立を生むのではなく、信仰が対立をそっと回避する機能をもっているようで、ちょっと安心しました。こういう諦観にも似た捉え方も、静かに生きていくうえでの知恵なのかもしれません。

とにかく、お母さんモスク、はやくもとの姿に戻ってほしいものです。

赤ちゃんことば。

4日間、マリの国内小旅行に行ってました。ペイ・ドゴンと呼ばれる地域です。この旅行の詳細については、またあらためて。

きのう家に着いたときのこと。わたしが出先から長屋に戻ってくるといつもいたクンバ姐さんが、いない。死んでしまったことはもちろん分かってはいたけど、どこかで信じてなかったので、現実を突きつけられた感じでした。からだのまんなかにポカンと穴が空いて、つい、旅行のバックパックを背負ったまま泣いてしまいました。

いつも、はにかんだ顔でわたしに「やぁミク、おかえり」と言って握手し、息子たちに「ほら、ミク姉ちゃんの荷物を部屋まで運んであげな」とテキパキ命じて迎えてくれていたクンバ。大好きなひとが亡くなったということを実感するのは、慌しく過ぎていくお葬式のときよりも、こういう何気ない瞬間です。

さて、めそめそしていても始まりません。旅行なんぞしたぶん、やるべき仕事もたまってるし、もりもり頑張らないと。元気をだすために、きょうはジェンネの赤ちゃんことばについて書こうと思います。この世を去る人もいれば、ぽんと生まれてグングン大きくなっていく人もいるのです。いやぁ、やっぱりこういうときは赤子パワーよねー。

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〇飴玉
フランス語でボンボン。もともとマリにはなく植民地支配後にフランスがもたらしたものなので、マリでも飴のことはボンボンと呼びます。でも、赤ちゃんが発すると、たいてい「もんもん」になってしまう。お兄ちゃんお姉ちゃんたちがボンボンを食べていると、「もんもん!」と叫んでおねだり。

あぁそんなかわいいおねだりされちゃうと、つい、いくらでも飴ちゃんをあげたくなってしまう。でも、こちらの子どもは歯を磨く習慣があまりないので――つい最近まではこういう甘いものは身近でなかったので、歯を磨かなくても虫歯にならなかったそう――、ぐっと我慢。お祭りなどの特別な日に、知り合いの子どもに一粒ずつ、「はい、もんもんだよ」と言いながらあげます。

〇小鳥
これは赤ちゃん自身が言うのではなく、おとなが「ほら、小鳥さんだよ~」という感じで赤ちゃんに語りかけることば。「ちゅぅちゅ」といいます。日本語のすずめやねずみの鳴き真似に似てますね。

お父さんやお母さん、お兄ちゃんお姉ちゃんが、赤ちゃんをだっこして小鳥を指差しながら、「ほらっ、ちゅぅちゅ!」と言っている姿は、赤ちゃんとセットで、なんと幸福な光景&響き。

〇チュバブ
マリで「白人(外国人)」を意味することば。日本語風にすれば「がいじん」といったニュアンスで、あまりいい言葉ではありません。でも、赤ちゃんはそんなこと知ったこっちゃないさ。お兄さんお姉さんの真似をして、わたしのことを「チュバブ」と呼びたいけど、まだ舌足らず。たいてい、「ちゅあぅ」となる。

あるていどの年齢の子どもに「チュバブ!」と呼ばれたら、「わたしにも名前があります。『白人!』と呼ぶのではなく、まずは名前をたずねるのが礼儀じゃないかね?『そこの黒人!』と声をかけられて、君たちはお返事をするかね? ん?」などと説教する、われながら面倒くさい意地悪ばあさんなわたし。でも、赤ちゃんに「ちゅあぅ~」と呼ばれたら、つい「あら、なぁに?」と優しく返事をしてしまう、ふぬけなわたし。赤ちゃんって得ね。

〇羊
ジェンネのいたるところでうろうろしている羊。赤ちゃんはなぜか、羊さんが大好き。同じくジェンネにたくさんいるロバほど大きくなく、野良犬ほどハードな雰囲気を漂わせておらず、鶏や鴨ほど予想外の動きをしないからでしょうか。羊を見かけると、たいていの赤ちゃんが、「んべー、んべっ!」と指さして大興奮。

「んべー」とか「んべっ」は、羊の鳴き声をまねたもの。日本で羊の鳴き真似といえば「め~」ですが、実際に聞いてみると、「んべー」のほうが正確に再現している気がします。誰が教えたわけでもないのに、赤ちゃんの声帯模写能力、おそるべし。

〇礼拝
これはことばではなく、仕草ですがご勘弁を。

1日5回の礼拝をかかさないお父さんやお母さんを見て、赤ちゃんも礼拝のまねをしたがります。おでこを地面につける姿勢をまねようとするも、たいていの赤ちゃんは失敗。

皆さんご存知のように、かれら赤ちゃんは、からだ全体に比して頭が大きい。腕の力もない。なので、頭を地面ぎりぎりまで下げようとすると、重いおつむは重力に負けて、そのままごん!と地面にぶつかってしまいます。そして大泣き。

でも、メッカに向かっておじぎのようにひょこひょこと頭を下げている姿は、ほんとうに愛らしい。こうやって礼拝を覚えていくのね~。