2009年9月9日水曜日

今日は昨日で、降りるは昇る。そして踊るは歌う、なのだ。

ひさびさに、ジェンネのことばのはなし。

ジェンネは、1km2 にも満たない町です。そこに、およそ1万4000の人が住んでいます。ちなみに、東京でいちばん人口密度が高い中野区で、およそ1万9000人/km2らしいです。中野区には及びませんが、人間ジャングル・都会砂漠トキオにひけをとらない、ジェンネの人口密度!

ジェンネには、そんな限られた土地に、たくさんの民族集団がぎゅうぎゅうつまって暮らしています。主なのはソンライとフルベという人たち。ほかにボゾ、バンバラ、ドゴン、モシ、ボボ、トゥアレグなどなど。

言語がちがうたくさんの民族がご近所さんどうしなので、コミュニケーションには共通の言語が必要です。その役割をはたしているのが、ジェンネ語(ソンライ語のジェンネ方言)。家庭内ではそれぞれの民族の言語が話されていたりしますが、言葉の違うエスニック同士の会話や、公の場(地区の集会とか、町全体の催しごとなど)で用いられるのは、ジェンネ語です。

またジェンネのひとは、複数の言語をやすやすと使いこなします。相手によって、使う言語をスイッチング。4,5歳のこどもですら、2つ3つのことばを相手によって使い分けたりします。大人になると、5つの言語を話せる人もめずらしくありません。(たとえば私のお隣さん。彼女自身はバンバラという民族のひとですが、バンバラ語のほかに、ジェンネ語、フルベ語、ボゾ語、そして少々のアラビア語を解します。大家さんは、これにさらに学校で習ったフランス語を加えた6つ。)

この言語能力、ほんとにすごいなぁ、と驚くばかり。でも、「すごいねぇ」と言うと、たいていジェンネっ子はきょとんとします。かれらにとっては、これが普通なのです。自分たちの「普通」をすごいとほめられても、あまりぴんとこないみたい。日本人が外国のひとに「Oh, 箸の使いかたがなんて上手なの!unbelievable!」とほめられても、「えぇ、まぁ、慣れてますから…」と答えるしかないような感じでしょうか。

ほめちぎるわたしに、「だって、違う言葉をしゃべる人が近所にいたら、どうやってお話するのよ?あなたもそういうところで育てば、3つだって4つだって違う言葉が話せるようになるもんよ」ですって。さらりと言ってくれるじゃないの。

さて、マリの公用語のフランス語でさえ外国語――マリの人にとっても、フランス語は植民地支配がもたらした外国語ですが――のわたし。こんなにローカルな言語があふれているジェンネでは、たまに困ってしまいます。

たとえばこういう場合とか。

ある人がわたしとジェンネ語でしゃべっていたとき、通りすがりの人がフルベ語で挨拶してきた。そこでその人はフルベ語で返事をし、しばし雑談。そして私とのお話に戻っても、さきほどまでのフルベ語につられて、フルベ語でおしゃべり再開。「あ、フルベ語わかんないです…」と指摘すると、「あぁ、ごめんごめん」と言ってバンバラ語で話し始める。「いや、さっきまでわたしとはジェンネ語で話してましたよ」とさらに指摘すると、「あ、そうだっけ?まぁ気にするな。君、バンバラ語も十分わかるんでしょ?」とくる。いやぁ、ジェンネ語だけでも、理解するのに必死ですってば。

それぞれの言語の響きは、だいぶ違うのです。たとえば、「わたしは家に帰ります(je vais à la maison.)」は、――カタカナで表現しづらいので不適当ですが、あえて書くと――バンバラ語では「ンベタソ」、ジェンネ語では「アイコイフゥ」、フルベ語では、「ミゥィチチューリ」。だから普通は、相手がなんの言語で話しているのか、その響きからパッと区別がつくのです。

でもいくつか、とっても紛らわしいことばが。ぼぅっとしていたり疲れているときにとっさに話しかけられると、「へ?どっちかね?」と混乱します。その代表格が、「ジギ」と「ビ」と「ドン」。

「ジギ」はバンバラ語で「降りる」、ジェンネ語では「昇る」の意味。同じ響きなのに、意味が真逆。「ビ」はバンバラ語で「今日」、ジェンネ語だと「昨日」。一日ずれてる。「ドン」はバンバラ語で「踊る」、ジェンネ語だと「歌う」。なんとなく近いけど違う。

ふたつの言語が一緒に使われないところにいれば、この意味のニアミスもなんてことないのでしょうが、バンバラ語もジェンネ語も、ジェンネではよく使われるから困ります。ジェンネを一歩出ると、たった5kmしか離れていない村でも、ジェンネ語が通じません。なので、よその町から来た人がその場にまざっている場合などには、バンバラ語で話したほうがスムーズに通じるのです。(ジェンネではバンバラは人口の5%と少数ですが、マリ全体では人口の4割以上を占めるマジョリティ。その言語バンバラ語も、マリ国民の7割が使えるそうです。)

というわけで、今日が昨日だったり、昇るが降りるだったり、バンバラ語で「ミク、踊りなよ(ミク、ドン!)」と踊りの輪に誘われて、「あ、では、せんえつながら…オホン」と、ミクは歌い(ミク、ドンinジェンネ語)始めてしまい、恥をかくこともあったり。いえね、踊りのBGMになるような歌を歌え、という意味だと思ったんですよ、ジェンネ語で。お祝い事だし、はずかしがって場を盛り下げてはいけないと思ったんですよ。

マルチリンガルっておもしろい。どこか気楽。まざっているのが当たり前、違うのは当然――そんな感覚のなかにいると、皆さんあんまり、「違う」ということにくさくさしない。違うから悪いとか、違うからすごいとかでなく、違うからこそ、それぞれのものを交換できる。言葉にかぎらず、いろいろと。

日本ももっといろいろ混ざればいいのに、と思います。日本というか、じぶんの生まれ育ったり住んでたところは好きだけど、でもやっぱり、もっと混ざったほうが深みがでるんじゃないか?と思います。韓国語、中国語、ポルトガル語、英語、あれこれ。他言語の話者が日本にもぎゅうぎゅう住んでいるのに、必死に耳を澄まさないと聞こえてこないなんて、妙な話です。「純粋なる国語」なんて、ありえないと思うんだけどなぁ。

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写真は、本文とはまったく関係ないのですが、ちょっと興味深かったので。近所の男の子たち。この年頃の男の子集団にカメラを向けると、なぜか「強いぞっ!」という感じの、カンフーもしくは〇〇レンジャーみたいなポーズをとるのは、万国共通なのだなぁ、と。

もちろんマリで「〇〇レンジャー」のシリーズは放送されていません。カンフー映画はそこそこポピュラーですが。特に、いちばん左の子の、「関根勉がするカマキリのものまね」みたいなポーズは、日本でもお調子者の男の子がよくやっていたなぁ、と小学生のころを思い出してしまいました。あ、しかもこの子、カマキリ色の服やね。

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