2009年7月14日火曜日

Vive le dessin malien!

暑さもおさまってきて、すこし過ごしやすくなった日々です(といってもお昼は40度)。が、湿度とともにそろそろ蚊も増えてきました。マラリアに気をつけたいと思います。さて、きょうはちょっと趣向を変えまして、マリの日用品に描いてあるイラストをいくつかご紹介。

もっと変なイラストはたくさんこの国にあふれているのですが、個人的に、そういった明らかに笑えるものよりも、「一見ふつうでお澄まししているけれど、よく見るとどこか変てこ」なものに愛着を感じます。

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◇Barika tigi(バリカ・ティギ)

粉洗剤です。10cm角くらいの小袋で50CFA(約10円)。バンバラ語でbarikaとは力、tigiは長とか王という意味なので、「洗剤Power King」といったところでしょうか。さすが王様ですね、車やバイク、服にお皿、お鍋と、何でも洗えちゃうそうです。



特に裏面、この洗剤の良さをアフロさんが簡潔に説明してくれている絵が、ポップ&キュートで好きです。「清潔、真っ白、いいにおいHum!」



◇Sofa

蚊取り線香です。蚊取り線香はバンバラ語でsosofaakalan(ソソファカラン)といいます(soso: 蚊、faa: 殺す、kalan: 熱い)。Sofaは商品名です。10巻入って500~750CFAくらい。ばら売りもしています。「Sofaがあれば、もうマラリアにかかりません!」と書いてあるところに、この国のマラリアの深刻さも垣間見えます。マラリアはハマダラカという蚊が媒介する病気なのです。

一見なんてことない無難なパッケージですが、何が気に入っているかと言いますと、蚊取り線香のイメージに不釣合いな、地球とSofaの文字のコラボレーションです。地球防衛隊のバッヂみたいで、カックイイと思います。



おまけ:箱の中に入っている線香立ては、中国の空き缶を再利用です。どんな田舎にいても、どんな商品を買っても、中国経済の底力とその商品の短命っぷりを痛感しない日はありません。今日もひっそりと頑張る八宝粥の陽気なそばかす君を発見!



◇La Fourmi

La Fourmi(フランス語で「蟻」の意)は、首都にあるスーパーマーケットです。ヨーロッパの食材やお酒もたくさん揃っていて(こっちの感覚で言うとべらぼうに高いけど)、お客さんのほとんどは欧米人。店員さんに尋ねたところ、経営者はアラブ系とのこと。ワールドワイドですね。そのビニール袋のイラストは、店名そのままに蟻さん美女です。

カートいっぱいに買い込んだ商品、むっちりなまめかしいおみ足、おされなミニスカート、そのうえには、蟻の頭!特に、蟻姐さんの触角のしなだれ具合が、艶かしくて好きです。

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2009年7月13日月曜日

動物さんと話そう。

調査で小さな失敗が積み重なって、ちょっとおろおろしていましたが、どうにか落ち着きました。ちょっとした疑問や不自然さを「チョット面倒だな、ま、いっか」などと思って放っておいたら、後で余計にややこしくなったりして大変ですね。改めて痛感。

さて、気を取り直して、きょうは動物の話。

ジェンネには動物もたくさんいます。牛、羊、やぎなどの家畜、にわとり、鴨などの家禽、犬、猫などのペットです。犬と猫は、日本語のペットというイメージからはほど遠いワイルドな養われ方をしていますが、犬は夜警に、猫はネズミ捕りに活躍しているようです。

これらの動物たちは、家の中庭につながれていたり、路地に放し飼いにされていたりします。「動物がいる」といちいち意識しないくらい、ごく当然な感じでうろうろしています。路地を歩くときには道をふさぐロバを押しのけなければ通れませんし、ベランダで昼寝していたらヤギにぺろっと舐められたことも。人の赤ちゃんと羊の赤ちゃんが風船を奪い合って喧嘩していたり、ぼぅっと道を歩いていると牛に追突されそうになったりもします。

さて、こんなふうに動物がごく身近にあると、動物にたいする呼びかけの言葉にもヴァリエーションがあります。例えば、霧雨、小糠雨、五月雨、天気雨、鉄砲雨など、日本に雨を表現する言葉がたくさんあるように、身近なもの、不可欠なもの、愛着のあるものには、人間は細かい差異を見つけて、それぞれを名づけるのでしょう。

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動物を追い払うとき。日本語だとすべて「しっし!」とか「あっち行け!」と言いそうですが、ジェンネでは、

ロバを追い払うときは、「ウリ!」
にわとりを追い払うときは、「クス!」
猫や犬を追い払うときは、「アス!」

動物を呼んだり群を誘導するとき。日本語だとすべて「おいで」とか「こっち来い!」と言いそうですが、ジェンネでは、

ヤギを呼ぶときは、「チャ!」
犬を呼ぶときは、「マ!」
羊を呼ぶときは、「オレ!」

同じ指示でも、動物によって言葉が違うのです。

ある日、中庭をほうきで掃いていると、ロバが隅に捨ててある残飯を食べに庭に入って来たので、追い払っていました。そのときはまだ、動物を追い払う言葉にヴァリエーションがあることを知らなかった私。いちばん耳にするクス!を使って、「クスっ!クスっ!」とほうきでロバのお尻をはたきながら追い払っていると、それを聞いた長屋の子どもたちが笑っています。「うふふ、ミク、それはロバだよ。ニワトリじゃないよ~」。

その一件で、どうやら動物によって呼びかける言葉が違うらしいということが分かったのですが、うーん、どうなんだ?動物は果たして聞き分けているのか?例えばロバとニワトリが同じ場所にいて、ニワトリだけを追い払いたいとき、「クス!」と言えばニワトリは去り、ロバは「あ、私のことを追い払っているのではないな」と思って留まるのだろうか?
そうならば、ムツゴロウさんもびっくりの動物とのコミュニケーション術です。

実験してみました。

複数の動物が同じとろこにいる時に、ひとつの動物を追い払う言葉だけを使って追い払ってみると、どうなるのか。ちょうど近所に、いつもロバとニワトリと羊が集まっている路地の一角があるので、そこで実験。「ウリ!」(ロバだけを追い払う言葉)と元気よく叫んでみたところ、

…ロバ、ニワトリ、羊、どれもぴくりとも動かない。そして私がずんずん近づいていくと、皆、「あ、このままやと踏まれてしまうがな」という表情で億劫そうにもそもそと立ち上がり、道を譲ってくれました。結局は、このままだとぶつかってしまうとか、どかないとお尻をぶたれちゃうとか、そういう危険を察知したら、すんなり去るようです。ウリ!もアス!もクス!も関係ないみたい。

ま、そんなもんですよね。

でも、こうした身近なものへの分類、とてもよいと思います。長年にわたっていろんな言葉で追い払ってきて、どうやら犬は「アス!」と言ったときにすばやくあちらに去り、「マ!」と言ったときにすばやくこちらにやって来る、そういう長年の経験から定着したのが、これらの言葉なのです(たぶん)。人間のそういった長年の経験と心の細やかさに敬意を払い、これからも、ウリ!クス!アス!チャ!マ!オレ!を使い分けていきたいと思います。(まだ覚え切れておらず、たまに「えっと、どの言葉がどれ向けだったっけ」と迷い、結局は無言で手ではたいたり、木の枝でツンツンしたりしているのですが。)

2009年7月7日火曜日

使ってはいけない。

先週金曜日、お隣に住んでいた方が亡くなりました。まだ30過ぎ、わたしと同年代の女性でした。病気がちでたいていは家にいたけれど、調子のいい時には家事仕事もするし、毎夜友達と中庭でおそくまでおしゃべりが日課でした。誰も亡くなるほどの重病だと思っていなかったので、ご家族、近所の人、とにかく驚き、悲しみました。

亡くなる前の一週間はあまり調子が良くなく、寝込んでいました。金曜のお昼、横になっていた部屋からふらふらと出てきて、それぞれの部屋にいた長屋の人たちに、中庭から話しかけてきました。「わぁ、ビビ、今日はずいぶん大きな魚買ってきたのね」とか「クンバ、いないの?お昼寝中?」「ミク、お仕事の調子どうよ?」など。自分の足で歩いて笑顔で挨拶しているけれど、その様子はどこか変。その姿に、いつもの彼女の、ちょっとコケティッシュな丸みを帯びたオーラがない。生気が完全に失せている。奇妙に感じた長屋の皆が部屋から出てきて、「疲れてるんじゃない?横になっときなよ」と言いながら彼女を部屋に連れて行き、寝かせました。いま思えばあの挨拶は、虫の知らせを聞いてのことだったのかもしれません。そのたった数分後に、すぅ、と天に召されました。

賑やかな人でした。とにかくおしゃべり好き。よく笑う。気が強いところもありました。結婚してお子さんもいましたが自分から三行半を突きつけ離縁。実家には戻らず、友人であるお隣さんちに居候し、新しいボーイフレンドもできて、楽しそうにしていました。よく通る声で大声で笑い、男性とも激しく喧嘩し、逃げる相手に鍋ややかんまで投げつける。でもいつも結局は笑いながら仲直り。たまに原因不明で寝込む姿を、まわりの人が「お、また仮病が発病かぃ?」などとからかっていたくらいでした。

病院に行っても、毎回風邪だとかマラリアだと言われるだけ。素人目に見たら、それにしてはぐずぐず続くなぁ、ちと治りが悪いなぁ、という感じでした。結局、亡くなった本当の原因は分かりません。ただ、彼女が亡くなってすぐに、近所の人がこう噂しはじめました。

「やっぱりあのプロデュイがいけなかったんだよ…。あれで心臓をもっていかれたんだ」

プロデュイ(produit)とはフランス語で「製品」の意味ですが、マリでは特に「美容製品」を指します。化粧水とか美容クリーム、髪のトリートメントなど。彼女はあるプロデュイを愛用していました。"肌を白くする"クリームです。そのせいか、彼女の肌はところどころ色がすこし薄く、まだらにただれていました。わたしははじめそれをやけどか疱瘡の痕だと思っていて、彼女もきっと気にしているだろうからと、黙っていました。

ある日、水浴び後の彼女が中庭に腰掛けて腕や足にクリームを塗っていて、それがやけどの跡でないことが分かりました。私が何気なく「へぇ、美容クリームなんか使ってるんだぁ。私なんてあせもだから、粉をはたいてるよ」と話しかけると、「あ、これ?肌を白くするクリームなの、うふふ」。こちらでそういうクリームが売られていることは知っていたし、おそらく使用者だろうなという肌の一部だけ不自然に色が薄い人も見たことはありましたが、使っているところを見たのは初めてでした。

このクリーム、女性に限らず男性のなかにも使用者がいると聞きます。日本で売られている美白美容液やしみを薄くする錠剤のような、ビタミンたっぷりとか、漢方成分が入ってるとか、肌に潤いを与えるとか、そういう類のものではありません。直接肌に塗って肌を白くする、いわば「肌の漂白剤」です。何が入っているんだか分かりません。生まれつき黒い黒人の肌が、これを塗れば白くなる…?薬学のやの字も知らない人間にすら、そんなことはありえないだろうこと、ありえたとすれば、体にかなり悪いものを使って無理やり「漂白」しているだけであろうことは明らかです。こちらの人も、それは知っています。

ふんふんと鼻歌を歌いながらそのクリームを塗っていた彼女に、すこし強い口調で警告しました。「そのクリームは絶対に絶対に体に悪いから、使うのをやめな!きっと肌だけじゃなくて、からだじゅうに悪いんだから!子どもを産むときに赤ちゃんにも悪いかもしれないよ」。でも彼女は聞く耳持たず。「そう言う人もいるけど、問題ないわよぉ」。いま思えば、もっと強く言っておけばよかったな、ととても悔やまれます。

わたしが怒ったからか、その後わたしの前でそのクリームを塗っているのを見たことはありませんでしたが、たまに中庭に空になったクリームのチューブが捨てられていて、彼女がそれを使い続けていることは分かりました。捨てられていたチューブやその箱をこっそり見ても、どこにも成分表示はなし。生産地や会社名らしき表記もなし。どこからともなくやってきて人びとを誘惑する、おそろしい薬です。

黒人のひとの黒さとはまた類が違いますが、彼女の気持ちが分からないでもありません。わたしも小さい頃から、色が黒いのが強烈にコンプレックスでした。丸みのない薄っぺらい体型なこともあり、よく男の子に間違われました。どこにも泳ぎに行ってないのに「どこの海に行ったの?」と聞かれるのは毎夏のこと。さらにここマリに住むようになってからは、その黒さに磨きがかかりました。ほくろやしみも、目に見えて増えました。「色の白いは七難隠す」と未だに言われる日本で生きるにあたって、"からだに悪くない"肌を白くするクリーム、そんなものがあれば、正直私だって使いたい。でもそんなものは存在しません。

この年になって、だんだん分かってきました。皮膚がんにならない程度に日焼け止めなどで肌を守っていれば、有色人種の私が、普通の生活のなかで黒くなるのは仕方がないのです。そして、「色の白いは七難隠す」というのは本当かもしれないし、年長の世代の人たちにはっきり面と向かってそう言われたことも何度もあるけれど、難を長所にするのは、その人のキャラクター次第です。いや、私のまわりには、難があるからこそおもしろい人、美しい人が多い気がします。

ニャムイ、あなたの命を奪ったのが何なのかは分からないけど、あの薬だとは断定できないけれど、そんなことしなくても、あなたはとても素敵でしたよ。くりっと大きな目がすこし色っぽくたれていて、賑やかでくっきりとした雰囲気、かわいらしかったです。天国でもたくさんおしゃべりしてくださいね。

ご冥福をお祈りします。

2009年7月2日木曜日

男の結束。



朝5時、むにゃむにゃと寝床の屋上から降りてきましたらば、まだうす暗い中庭に、羊らしき肉が浮かんでいるのであります。わが長屋の玄関間の壁に、しっかり打ちつけられています。

現代の日本でこの光景を目にしたら、ちょっとしたサスペンス。なんの黒魔術?という感じでおののくことでしょう。でもこちらでは、肉はこうした状態から肉屋が切り分けてくれますし、鶏はしょっちゅう自分でほふります。羊や牛は高いのでしょっちゅうとはいきませんが、お祭りの時などに、一族や地域でふんぱつしてほふり、余すところなくいただきます。なので、起き抜け一番に目にしたものがありのままの骨と肉でも、まったく驚きはしないのです。むしろ、両足を行儀よく揃え、脚の付け根とあばらのあたりをナイフでしっかり留めている、その仕事の正しさに、「いい仕事してますねー」とすがすがしさすら感じます。

はて、でも、おかしいぞ。羊は高い品。肉の一部を買うことはあっても、一頭まるごと買うのはかなりの贅沢です。この長屋はにそんな裕福な家族はいませんし、羊を育てている人もいません。誰が買ったのかしらん?疑問に思いながらも、涼しい朝だったので、夜が明けるのを待ってお散歩に出かけました。

お散歩の途中、近所のトラオレじいさんに会います。挨拶をすると、開口一番、「いやぁ参った。子羊がいなくなったんだよ。昨晩、小屋に入れようと思ったら一頭足りない。こりゃぁ盗まれたな…」。あら、なんたる一致。うちの中庭に打ち付けられていたのも、子羊の大きさです。でもあの羊といなくなった羊が一緒という確信はどこにもなし。そしらぬ顔をして聞いてみます。「まぁ、それは残念。泥棒ですかね?」。するとおじいさん「いや、若いのが戯れで盗んだんだろう。泥棒なら上手に全部、5頭とも盗んでいくはずだ」。ごもっとも。

でもなんで「若いの」が盗んだと断定しているのか?さらに聞いてみると、面白い話を聞けました。トラオレじいさん曰く、

「若いのはたまに、近所の家畜をこっそり盗んで、仲間内で調理して分け合って食べたりする。若い時分は、私もそんなことをしていたもんだ。そうだ、人の羊や牛を盗んでは食べていた。いま100歳の人だって若い頃はそうしていたし、今の若いのもだ。でもまぁ、それは若さゆえの戯れだし、自分たちもそうやって育ってきたから、もしいなくなった自分の羊を食べている若者を目の前にしても、気づかぬふりをして通り過ぎる。間違っても警察に届けるようなことはしない。変な表現だが、まぁ、それがマナーというか、男同士の結束、そんなもんだな、ハハハ。だから一頭や二頭盗まれても、悔しいのは悔しいが、仕方ない。でもな、最近の若いのはいけないね。盗んだのを自分たちで食べずに、商人に売り払って金にして、服を買ったり携帯を買ったりする。これはいかん。許せん」。

盗んで食べてもいいが、金に換えてはいけない。それはマナー違反、男同士の結束を乱すふるまい。なるほど。確かに、盗んで食べるまでは「若さゆえのはめはずし」の範疇に入りそうですが、お金に換えた途端にチョットなまなましくなり、「泥棒」度が増す気がします。

「今ごろ盗まれた羊が食べられているといいんですけどね」「あぁ、まったくだ。売り払ったりされたらイヤだね」。戻ってくるといいんですけどね、ではなく、食べられているといいんですけどね、というなんだか妙な慰め方をして、おじいさんところをおいとま。家に戻ります。

すると朝から、なんだか香ばしいにおいが長屋中に。いつも長屋の若者部屋にたむろしている大家さんの息子や甥っ子、その連れたち6人(自称グループ名"Active Boys")が、きゃっきゃとはしゃぎながら、先ほどの羊肉を丸焼きしている最中でした。いつもは8時すぎにもそもそと起きてきますが、今日はまだ7時なのにすでにハイテンション。もう20歳すぎの子たちですが、そこは田舎の男の子。はしゃぎっぷりはまだローティーンのノリでかわいらしく、つい目を細めてしまいます。

確信しましたね。今こんがり焼きあがったのは、トラオレじいさんとこの子羊だ。私がその事情を知っているとはつゆ知らず、男の子たちは無邪気に「ミク姉さん、おはよう!ほら、羊の肉だよ。どうぞっ!」と、私が一番好きなあばらの肉を差し出してきます。「ありがとう。でも、羊は高いのに、誰がお金出して買ってきたの?」。すると、6人とも「えへへ」とか「うふふ」と笑うばかりで、答えません。

・・・君たち!なんて分かりやすくてかわいいの!?盗んできたんだね!

でも、わたしもオトナです。先ほどおじいさんに教えられた「マナー」どおり、そしらぬふりを決め込み、分け前を遠慮なくいただきました。炭火でカリカリに焼けたあばらまわりの薄い肉に、ぱぱっと塩がふりかけてあって、非常に美味です。ワイルドに骨を噛みしだきながらいただきます。

いやぁ、トラオレじいさん、ご安心ください。この町にはダメな若者も確かに多いですが、男の結束はいまもまだ残っているようですよ。少なくともこの子たちは、売り払ってお金に換えたりなどしていませんでした。夜のうちに丁寧にほふり、一晩じっくり寝かせ、うきうき早起きして火をおこし、丸焼きにして、長屋中にふるまって、あますところなくいただいておりました。

ごちそうさまでした。