2010年1月25日月曜日

青い、赤い、黒い。

ネットがつながらない環境にいたので、ブログがとまっていました。ご心配してメールをくださった皆さま、ありがとうございました。

少々お疲れで目の下にくまができていますが、元気です。でもこのくま、なんか最近いっつもある。疲れがどうのという問題ではなく、さては年のせいか。ちなみに、黒人のひとも、目の下にくまができると分かります。肌の色の黒さと、くまのような沈んだ黒さは、またちょっと違うものね。

こんな話をしていると、小さいころテレビで見たサンコンさんのギャグを思い出します。サンコンさんはマリのとなりのギニアのご出身だそうです。なにか驚いたことがあったとき、「あぁびっくりして顔が真っ青になっちゃったよ!」とサンコンさんが言って、まわり(もしくは本人)が「黒いから分かんないよ!」とツッコミをいれて、わっはっは、という、これぞ文字通りのブラック・ジョーク。そのころは、「ほんとやー、黒いひとは青くなっても分からんなぁ」などと思っていたのですが、こちらに来て分かりました。意外に、分かるもんやね。びっくりしたりショックで青ざめている黒人さんの顔は、わたしにはやっぱり、「青ざめて」見えるのです。

10月ごろ、町から3kmくらい離れたところにある、ある農家のひとの田んぼに出かけていました。土地にかんする話をうかがうためです。おじさんとその甥っ子が、作業をしながらいろいろ話してくれます。すると、わたしと同年代くらいの甥っ子さんの携帯が鳴りました。はいはい、と電話にでる彼。『まわりは見渡す限りの野なのに、携帯は鳴るんやねぇ』とのんびり待っていると、電話に「うん、うん…うん」とだけ返事をしている彼の顔が、なんだかみるみる「青ざめていく」。

どうやら、妊娠中の奥さんが産気づいた、とのこと。予定よりもずいぶん早いので、心配になったようです。黒い彼の顔は、「青かった」。なんというか、黒くつやのある肌が、すこし色が薄くなってくすむ気がするのです。甥っ子さんは、あわてて自転車を飛ばして帰っていきました。(あとで心配になってたずねたところ、赤ちゃんは無事生まれ、奥さんも元気とのこと。ほっ)

でも、黒人の人が「赤く」なっても、わたしにはあんまり分かりません。かっとなって喧嘩している男の人、恥ずかしがってもじもじしている女の子、緊張のあまりぽわぁっとなっている女の人、など、いろいろな「赤くなる」シチュエーションを見てきましたが、赤くなっているのは分からない。かっとなっている人のこめかみがどくどく脈打っていたり、もじもじしている子が足をくねくねさせたり、緊張しているひとの息があがっていたりするのは、「赤くなる」わたしたちと一緒ですが。もじもじしている子どもって、なんであんなにかわいらしく、足をくねくねさせるんでしょうね。わたしもよく、調査で言いたいことを言おうとしてなかなかタイミングがつかめずにもじもじしたりしますが、足はくねくねなりません。もうオトナね。

ジェンネのことばにも、(ひとの顔が)赤くなる、という表現はありません。わたしがある失敗をして、耳まで真っ赤にしてじぶんの恥ずかしさを笑ってごまかしていたとき、近所のみなさんが、「わぁ!ミク、耳も顔も首も真っ赤になってる!」と驚いていました。ジェンネでも日焼けをして赤くなった白人の観光客のひとなどはよく見かけますが、恥ずかしさから瞬時にして赤く変身したわたしが、おもしろかったようです。その指摘にさらに赤くなって、「わぁ!手のひらも赤い!」と、子どもたちに手をひっくり返され、はやし立てられてしまったわたし。まだまだオトナになりきっていないわね。

ジェンネ語で「赤くなる」という表現はありませんが、「赤い人」という表現はあります。「黒人」と一言にいっても、その色の濃淡や色味はさまざま。「黄色」の人にも、松崎しげるみたいな人もいれば、透き通るような肌の人もいるし、赤ら顔の人も、土気色のひともいるのと同じです。「黒い」黒人のひと、「茶色い」黒人のひと、「赤い」(赤茶色)黒人のひとなどなど。マリのひとの身分証明書には、身長などのほかに肌の色や髪の色を記入する欄があります。見せてもらうと、たいていは「黒」と書かれていますが、すこし色が明るい人は「薄色」とか、赤茶っぽい人は「赤」と書いてあるものもありました。

「あの漁民のアマドゥさんがさぁ…」などと話していると、「どのアマドゥだっけ?港の前に住んでる一家の?…あぁ、あの色が黒い背の高い人ね」などという会話もよく聞かれます。みんな「黒い」けれど、みんな黒いわけではないのです。

いやぁ、いろんな顔色やいろんな肌の色のひとがいるものです。

数年前、マリのご出身でいまはドイツの大学につとめているジャワラさんという教授が、シンポジウムのため関西にやってきました。そのかたの京都案内をしていたときのこと。いわゆる、日焼けサロンで焼いているようなガン黒の女の子の集団が、わたしたちの前を通り過ぎました。『いまだにこんな子らがいたんや!』と驚くわたしの横で、それ以上に驚いているジャワラ教授。「へぇ!日本には、日本人と黒人のハーフの子がこんなにたくさんいるんだねぇ」。「先生、あれは、ああいうメイクとファッションなのです」と説明すると、すこし残念そうな顔をしていました。

2010年1月9日土曜日

ブテおばあさん、再び。

半年ほど前、このような記事を書きました。「おばあさん、ご冗談を。」http://mkalbumdejournal.blogspot.com/2009/06/blog-post_07.html 未読のかたは、今回のエントリを読む前に、まずこちら↑をお読みください。続編です。

***

マリのお料理に唐辛子は欠かせません。マリでは、ごはんのうえにソースをかけて食べるお料理が一般的です。ソースを煮込むとき、唐辛子を杵でついて粉状にしたものや小ぶりの唐辛子ひとつが、かならずといっていいほどおなべに投入されます。色が赤くなるほどの量でも、辛すぎて子どもが食べられないほどの量でもないのですが、やはり、入っているのといないのとでは、ソースの深みが違う。隠し味ってやつです。さらに、ソースが器に盛られたときにも、かならず唐辛子が添えられます。これは、各人がお好みで辛さを調節するためです。

多くのご家庭では、奥さんや娘さんたちが、1、2週間に一度くらいの頻度で、唐辛子をまとめて乾燥させたり、乾燥させたものを杵でついて粉にしたりする作業をしています。こうしておけば、毎回の料理のしたくのときに手間も省けるし、保存しやすくなります。

先日、あるジェンネのおじさんをインタビューしに、そのおじさんのお宅に行きました。事前に約束していたのに、どうやらおじさんは約束をすっかり忘れ、友だちの家に出かけてしまったとのこと。二十歳過ぎくらいの娘さんが、「父はすぐ戻ると言ってたから、ここで待ってて」と言って、腰かけをすすめてくれました。中庭に腰かけて、おじさんを待つ。なかなか来ない。娘さんはとっても無口。娘さんの赤ちゃんは、そこらへんで熟睡中。

…ひまなので、すぐ隣で、かごいっぱいの唐辛子のへたを取る作業をしていた娘さんをお手伝い。へたをとった唐辛子を入れるかごに手が届かなかったので、へたをとった唐辛子はひとまず、じぶんのももの上に置いていきました。子どもでもできる簡単な作業。ただしこの手でうっかり目をこすったりすると、唐辛子が目にはいったも同然なので、たいへんなことになります(数か月前に体験済み。)無口な娘さんにつられて、他人の家で黙々と、唐辛子のへたをとってはももに積み上げていくわたし。

すると家の前を、ご近所に住む例の「ブテおばあさん」が通りすぎました。わたしたちが腰かけて作業している中庭にはいってきて、まずはふつうに「おはよう」と、朝のさわやかなごあいさつ。そしてわたしのももの上に積み上がっている唐辛子を見て、ブテおばあさんは、『こりゃ大変だ!』という感じの表情でこう続けます。「あらあら、あんた、そんなところに唐辛子置いて…!」

ももに唐辛子を置いたら何か不都合があるのかしら?と思い、「え、なんで大変なの?」とたずねるわたし。へた取りの手を休めないまま、隣でくすくす笑いだす、無口な娘さん。そしておばあさんが、わたしの質問に答えてくれました。「唐辛子はヒリヒリするでしょ。そんなところに積んでると、いまにブテに火がつくぞ!」そして前回同様、わたしのそのあたりを、ちょろろっと触ってきました。不意打ちをくらって「ちょっと、ばぁさん!!」と叫んで焦るも、座ったもものうえに唐辛子を置いているので、立ち上がることできず。

たしかに、ももに積んでいった唐辛子の山はいつのまにか大きくなって、ももの上のほうに、まぁつまり、ブテの付近まで広がっていました。黙々と作業するあまり、気づかなかったよ。しかしねぇ…べつにわたし、全裸で唐辛子のへた取りをしてるわけじゃないし、「まぁ大変!ブテに火がつくぞ!」って…。

そしておばあさんは、なにごともなかったように、「イェルコィ マ ボーリンディ ジャーリディ」(アッラーがきょうも美しい一日をさずけてくださいますように)という清らかな挨拶を残し、すたすたと去っていきました。さっきくすくす笑っていた無口な娘さんも、なにごともなかったように作業に戻ります。残りのへた取りはわたしに任せたようで、あらかじめ天日に干しておいた唐辛子を杵でつく作業に、黙々と取り組んでいます。

結局、インタビューをするはずだったおじさんはいくら待っても帰ってこなかったので、日を改めることにしました。でも、娘さんの家事をお手伝いできたし、「唐辛子をももの上に置くとブテに火がつくぞ」ということも学習したので、よしとします。――いやぁ、じぶんはまだまだ勉強不足っす。

2010年1月5日火曜日

なにで帰るの?――空飛ぶカヌーで帰るのよ。

遅ればせながら、あけましておめでとうございます。みなさんとって、すてきな一年でありますように。

――といっても、こちらジェンネのイスラーム暦では一か月ほど前にすでに新年にはいっていたので、新年ムードはまったくただよっていません。いつもと変わらぬ日常です。

そろそろ、日本への帰国の日程を決めなくてはいけない時期になりました。マリから日本へ帰るにはフランス経由。観光大国フランスと日本のあいだの便はけっこう早く埋まってしまうので、そろそろ飛行機の予約をしておいたほうが賢明です。

晩ごはんの時間、大家さんに「そろそろ帰る日程を決めなきゃいけないんですよねぇ」と話していると、そばにいた女の子(6歳と7歳)が聞いてきます。「えっ、ミク、おくにに帰っちゃうの?」「すぐじゃないけどね。くにに学校と家族があるから、あとちょっとで帰るよ」「なにで帰るの?バスで?」「飛行機に乗って帰るんだよ。バスでマリから日本までかぁ…。それはちょっと無理やねぇ(笑)」

マリと日本がどれくらい離れているか想像もつかない(もちろん日本がどこにあるかも知らない)ジェンネの子どもたち。ジェンネからは、首都バマコや北部の町、そして隣国ギニアまで乗り継げるバスも出ています。ジェンネの子たちが、じぶんのあらん限りの想像力を駆使して、「遠いところへの交通手段といえば、やっぱりバス!ミクもきっと日本までバスで帰るんだろう」と思ったところが、とってもかわいい。まわりにいた大人も、そのかわいさに大笑い。

大笑いした大人も、乗り換えもふくめると飛行機で丸1日以上、というマリと日本の距離を、いまいち把握はしていません。まぁわたしも、日本から北米や南米までどれくらいかかるか知らないので、似たようなものですが。

以前ジェンネのおじさんに、マリと日本がどれくらい離れているのかと聞かれました。「飛行機で丸1日以上かかるくらいの距離です」と答えるも、「うーん、わたしは飛行機とやらに乗ったことがないから、よく分からないなぁ…」とのお返事。それもそうだなぁ。そして、「じゃぁ、おまえのくには、マリからメッカよりも遠いのか?」と続きました。

ジェンネのひとは、商売や牛の放牧、親せきを訪ねるため、同じ西アフリカの地続きの外国には、頻繁に出かけます。そういった意味では、日本人よりはるかによく外国に行っていると思いますが、飛行機に乗るほどの遠い外国にでかけたことのある人は、ごくごく一部。そんなかれらにとって、「飛行機で行く遠い外国」といわれてすぐに思いうかぶのが、巡礼のためのメッカ(サウジアラビア)なのだと思います。なるほど、それを基準に答えれば、マリと日本がかなり離れている、ということをつかんでもらえるのね。

「メッカより遠いです。マリからメッカまでの距離の4倍くらいあるんじゃないかな?4メッカくらいです」と答えると、「4メッカかぁ…!そりゃ、地球の裏側だね」と驚いていました。メッカまでの〇倍。便利な単位なので、その後、たまに使うようになりました。さすがに、4メッカ、しかも海を渡る道程を、バスでは行き来できんなぁ。

ちなみに、ジェンネのことばで、飛行機のことは「フィーリ・ヒイ」といいます。フィーリは飛ぶ、ヒイはカヌーのこと。つまり、飛行機は「空飛ぶカヌー」。増水期には四方を完全に水に囲まれるジェンネに住むひとにとって、カヌーはとても身近な交通手段です。フランスの植民地支配後、はじめて飛行機を見たジェンネのひとが、その細長いかたちから、飛行機を「空飛ぶカヌー」と名付けたのは、納得がいきます。マリでもっともよく話されるバンバラ語では、飛行機は「モビリ・コノ」といいます。モビリはmobile、つまり自動車。コノは鳥の意味です。飛行機=鳥自動車。なるほどね。

こんなすてきな表現があるのですが、最近のジェンネの子どもたちは、飛行機のことをフランス語のまま「avion(アビヨン)」と呼びます。今では、フランスからの観光客を乗せた飛行機(フランスのパリ/マルセイユと、ジェンネから100kmのモプチの空港をむすぶジェット機)が、ジェンネ上空を週2回、ぶぉんと飛んでいきます。いまの子どもにとって飛行機は、空飛ぶカヌーでも鳥自動車でもなく、飛行機です。