2009年4月30日木曜日

配置の妙、マリの妙。


こんにちは。

ここ数日は、農業にかんするアンケート調査をしています。1日4、5軒ずつ農家をまわって、質問に答えてもらいます。町をてくてく歩いて家を回り、農家さんですか?質問に答えてくれますか?と交渉し、OKであれば室内やベランダにお邪魔して、互いに汗をぽたぽた垂らしながら、質問に答えてもらう。

実に地味でちょっぴり根気を要する作業ですが、変な外国人の訪問にも、「ごめんね、うち扇風機がないんだよ。うちわ使う?」と気遣ってくれたり、「また何かあったらいつでも来なさい」と言ってくれたり、総じて
皆さん善く対応してくださいます。

さて、こちらは乾季のピーク。「暑い」というより、乾燥しきった日差しがぴりぴりと「痛い」。昼間に外を歩いていると、くらっとして意識がとびそうになります。でもまぁ、それを知ってここで暮らしはじめたのですから、不満を言うのはここらでやめにして、この気候のよいところを伝えましょう。

それは、洗濯物が一瞬で乾くところ。

「ふん、"一瞬で"なんて大げさな」と思ったあなた、甘いね。本当に、薄手のハンカチを昼間に外に干せば、1分とかからず乾きます。Tシャツやシーツだって、10分たらずでOK。うっかり何時間も干しっぱなしにしていると、固くごわごわに。

日本語には「しっとり」という、濡れてもいないし乾いてもいない、適度な潤いがすぅっと行き渡っている、かと言って湿っているまではいかない、そういう絶妙な状態をあらわす語がありますが、今のここの気候は、
そんなどっちつかずのやわな言葉を拒絶します。

濡れているのか、乾いているのか。彼女をとるのか、私をとるのか。ご飯食べないのか、特盛り食べるのか。
さぁ、どっち!?そんな、Dead or Aliveな世界です。潔さは買うけど、"曖昧な日本の私"にはちょっと疲れるときもあります。

さて、上の写真は知り合いの家の屋上です。散らばった服は、別に誰かのいたずらではありません。こちらでは、こうして土床の上に洗濯物を広げて乾かすことがあります。土も砂もカラカラなうえに、太陽が布を一瞬で乾かすので、こんな大胆な干し方をしても、砂が布にくっつかない、汚れない。

乾季のいま、ジェンネの家々の屋上では、洗濯物がこうして大の字で寝そべっています。もし私が「さぁここに干して」と言われたら、なんとなく一定方向に揃えて並べて干す気がします。でも、見てください、この潔い「てんでばらばら」っぷり。並べて干したらきっとこちらの人から、「ミク、たくさんスペースがあるしどうせすぐ取り込むのに、なんでわざわざ並べるのよ?」と不思議がられそうです。

カラフルで大小さまざまな服が、あっちむいたりこっちむいたり。一見しっちゃかめっちゃかだけど、それぞれの方向といい色味といい、つかず離れずの余白といい、不思議なまとまりも感じる、洗濯物たちのこの配置の妙。

いろんな特徴のエスニックが混在して、いがみあったり仲良くしたり。一見まとまりはないけど、「マリ人」としてのアイデンティティと統一感は、どことなくある。洗濯物の干し様に、そんな多様で絶妙なマリの国民性をみるようで、おもしろいです。

2009年4月26日日曜日

沼の哲学者。



こんにちは。

まだ気を抜くと気分のへこみがおそってきますが、気を抜く隙を自分に与えないよう、けっこうもりもり調査しています。元気がないときこそ余計に働いて勢いをつける。こういう時つくづく、「あぁ私ってやっぱりニホンジン」と実感します。

さて、上にある立派な魚の説明をします。

マリには海はありませんが、ニジェール河やその支流バニ川があります。ニジェール河の中流がマリの国土を「へ」の字に、平坦に流れています。平らなところを流れているので、上流のギニア山地でたくさん雨が降ると、川の水は流れるというより、じわぁぁぁっと溜まって川幅をはみだして、マリの中ほどで広大な氾濫原を形成します。「ニジェール河内陸三角州」と言われる、九州くらいの広さの三角州です。

9月頃からこの三角州ができはじめ、1月頃には逆にじわじわと水が引きはじめます。この三角州は、農耕にも漁にも放牧にも適した、とても肥沃な土地です。ジェンネもこの氾濫現の南端あたりに位置します。

ニジェール河とそれがもたらす三角州のおかげで、マリは内陸国でありながら、西アフリカで第三位の漁獲高をほこっています。1,2位はモロッコとセネガル。どちらも海に面しているうえにマリよりはるかに大規模な漁業をしているのですから、この3位はあっぱれです。マリではボゾ(ジェンネ語ではソルコ)と呼ばれる「河の民」が、専門的に漁をおこなっています。(この「河の民」の研究については、民博の竹沢尚一郎先生による民族誌『サバンナの河の民』という本に詳しいです。)

安定して漁ができる季節は限られていて、三角州から水が引き始める時期が、河での漁のよい頃合。ですからいまは、河や沼などで地味に漁が行われています。地味に、といっても、栄養たっぷりの水が長時間溜まっている沼には、ずいぶんご立派な魚が潜んでいます。

魚のから揚げを売っているお隣さんが今日仕入れてきたこの魚も、ジェンネから30kmくらいはなれた沼で獲れた魚だそうです。ひげのあるなまず。その表情はどこか気難しい老哲学者っぽい風情。彼は沼の主だったのか?表面はぺかぺか。顔に似合わず若いおなごの肌のようにむっちむちの弾力があって、指でむにむに押すととても気持ちいいです。(押しすぎて、お隣さんに「もういいでしょ」と怒られました。)

久々に立派な魚を見たので写真を撮りました。

大きさが分かりやすいように、最初はボールペンを置いたのですが、ペンでは小さすぎたので、隣の赤ちゃんラシン君を置いてみました。どれくらい立派か、伝わると思います。

ラシン君、ちょっとこわいようで、なまずと目を合わせようとしませんでした。(でも老哲学者が揚げ物に変身した途端、「ちょうだいちょうだい」「食べたい食べたい」のしぐさを繰り返していました。
まだ歯、生えてないのに。)

2009年4月19日日曜日

Dimanche à Bamako

今日のブログのタイトル、日本語に訳せば「バマコでの日曜日」。ただ今、ビザの手続きなどのため首都バマコに来ています。まさに、バマコでの日曜日、です。

車がほとんどない静かなジェンネに暮らしていると、久々の首都の喧騒と活気に、びくびくどきどき。そのせいか、すこし疲れ気味です。

"Dimanche à Bamako" これは、Amadou et Mariamというマリ人ミュージシャンのアルバム・タイトルでもあります。夫婦のユニットです。目が不自由なので、二人ともサングラスをかけて、スティービー・ワンダーみたいな感じですこし天を仰いで歌います。マリのみならず、他の西アフリカ諸国やフランスなどの外国でも売れた、2005年の彼らの大ヒット・アルバムです。

そのなかに入っているJe pense à toi (君を想う)という曲が好きです。

これぞマリ訛りのフランス語!という感じの、よい意味で垢抜けていない、くっきりとしてやさしい響きのフランス語で歌われています。なじみのない人が聞いたら、フランス語だと気づかないかもしれません。

Amadou et Mariam "Je pense à toi"



リズムはしっとりシンプル。歌詞は、所謂べたべたのラブソング。「あぁ寝ても覚めても君のことを想っています、わたしの愛しい人よ」といった内容です。くどいくらいの恋慕、潔いまでのシンプルさ。でも、そのシンプルさのなかに凝縮されたえもいわれぬ哀愁が、なんだかいい感じなのです。

ただこの曲、日本で何気なく聴いても、いまいちしっくりきません。なにやら話題のマリの音楽、ということで日本でこのアルバムを買ったとき、この曲のもたっとしたくどさに「うっ…」となり、すかさずスキップ・ボタンを押しました。現にいま、首都のエアコンの効いた快適なホテルのなかでパソコンを打ちながら聴いても、ぴんときません。(だから今はPortisheadがBGM)

「いかにもマリ!」な歌は、「いかにもマリ!」な環境で聴いてこそ、一番、私の耳に、感覚に、映えるのです。この曲Je pense à toi を聴くのにぴったりな環境をお奨めします。

今の季節は暑いので、ジェンネの人は夜には比較的涼しい屋外で眠ります。わたしもジェンネの自宅では、屋上でござを敷いて眠っています。しーしーしーと虫が鳴き、夜鳴きの赤ちゃんがお母さんを困らせているのが
聞こえます。夜更かしの若い男の子たちが、路地にイスを並べて涼んでいるのが見えます。月明かりは、本が読めてしまうくらい煌々。そして私は、とっても疲れているはずなのに、考え事をしていたら、なんだかうまく眠れなくなってしまったな・・・

そういうときにAmadou et MariamのJe pense à toi聴く。これです。こうして聴くと、「うっ…」どころか、すっと馴染んで、とても好い。

でもこれは、日本ではなかなか再現できない環境です。

日本でなら、そうだな、夜お仕事を終えて疲れて帰ってきて、ひとりでちょっと晩酌しながらでも聞いてみてください。過剰に多弁なテレビなどぷちっと切って、窓を開けて、できればベランダに足を投げ出すなどして、のんびりどうぞ。日本でだと、しんみりと雨が降っていても、いい感じかもしれません。

それでも「うっ…」と来る方は、いつの日かマリにいらしたときに、ジェンネで再チャレンジしてみてください。

2009年4月16日木曜日

Baby understands. ―おまもりの話。



強烈な日差しです。日焼け止めもまったく効果なし。そろそろ三十路なのに、夏休みに宿題をほったらかして遊びすぎた小学生、みたいな見事な色黒に仕上がっております。

ここ数日辛いことがあって、うまく気持ちがのりません。でも「悩む」とか「悲しむ」というのにも若々しい体力が要るようで、5年くらい前までのように、ひねもす悩み通したり泣き明かすような悠長な暇と根気はありません。どんなに落ち込んでいても、さぁインタビューだ、あぁ洗濯しなきゃ、おっと調査ノートまとめなきゃ、と気を張れば、ひょいひょい体が動いてしまう、意外に丈夫で仕事に律儀な自分。悲しむことに耐性ができること自体、とても哀しいけれど、オトナになるって、多分こういうことなのです。

さて、おセンチを晒してしまったそんな日は、かわいい赤ちゃんのお話で気恥ずかしさをごまかしたいと思います。マリの赤ちゃんの「おまもり」の話。

***
    
マリの赤ちゃんの腕、首、腰、いたるところに御守がついています。特に人々が信心深い宗教都市ジェンネでは、その数はよそに比べて多いように思います。こうした御守をジェンネ語で「ティラ」と言います。

ティラのほとんどは動物の革でできていて、皮紐にいろいろなものが縫いつけられています。フランス植民地支配が及ぶまで通貨として流通していた貝だったり、馬のしっぽの毛、マラブー(イスラーム僧)が
コーランの一節を書いたありがたい紙、などなど。

特にコーランを書いた紙片が縫いこまれた御守は、ジェンネではとてもポピュラー。赤ちゃんに限らず、子供、大人も身に付ける場合があります。(写真の黒い四角形が連なっている御守)

月曜の市には、こうした御守を専門に扱う職人が何人も店を開いて、繁盛しています。「この子はちょっとお腹が弱いから、それを防ぐのを作って」など、オーダーメイドもできます。日本もある種"おまもり大国"ですが、それにもひけをとりません。

じゃらじゃら取り付けられたティラには、赤ちゃんのバーバ(お父さん)やニャー(お母さん)ら、家族の愛情がてんこ盛り。

この子に悪霊がとり憑きませんように!
この子が病気になりませんように!
この子が将来お金に困りませんように!  
この子が皆に好かれる立派な人になりますように!エトセトラ。

親ってなんて欲張りさん!その親の愛情はたいへんほほえましいものですが、ちっちゃなからだにこんなにたくさん結び付けられたら、赤ちゃんにとってはむしろ邪魔じゃないのか?とも、ひそかに思ったりします。よかれと思って熱心にやっている親御さんに、「つけすぎじゃないかね?おんぶされる時とかおっぱい飲むときに、邪魔になってないかな」などという呑気な質問は、さすがに口にできません。

なので、親に分からないように日本語で、こっそり赤ちゃん本人に聞いてみました。サミィ君、生後三ヶ月、趣味は睡眠、好物は母乳。大家さんのお孫さんです。

彼のティラの一つには、3cm四方くらいの立派な貝殻が二個もついています。この国に海はありません。(最短直線距離でもジェンネまで約1300km)車などなかった時代には、遠くからはるばる運ばれてくる大きな貝は、貴重な分、ありがたみも大きかったのでせう。ティラにはもってこいです。

『で、実際どうよ?ティラはうっとうしくない?』

サミィ君は、こちらをじぃと見て「うーぅ、だーぁ、ふぁぅ」とか言いながら、手足をばたばた。さらに、赤ちゃんらしからぬおっさんぽいくしゃみを二発。そしてまた、両足をぴんと張って、こちらをじぃと見つめます。

『ええまぁそうですが、これもバーバやニャーたちの愛情ですからね。そこらへんは十分に分かっていますよ、われわれ赤ちゃんは。ご安心ください』

といったところでしょうか。

ああ、赤ちゃんよ、君たちは分かっていたのか。分かってて、受け入れているのか、親の愛情を。
じゃらじゃらティラだらけの小さな赤ちゃんたちは、めそめそ悩む大人の私なんかより、はるかにオトナではあるまいか。Baby understands.




(サミィ君の写真はなかったので、写真は機織職人の娘ニャムイちゃん。
突然のカメラにかなり怪訝な表情ですが、普段は愛想のよい子です。)

2009年4月10日金曜日

哀しきや お国訛りが ぬけなくて



昨日のジェンネはいつにも増して暑く、ロバもヤギも人も羊も牛も、ぐったり伸びていました。日中、乾ききった50度近いの強烈な日差しのもとできゃっきゃと走り回っているのは、小さな子供たちくらい。ここに来て、ひとの子はヤギの子よりも暑さに強いことを知りました。

さて、

この前の月曜の定期市で買った、中国製のミニ懐中電灯。購入一週間を待たずして調子が悪くなりました。
なんたる虚弱体質!電池がだめなのか?と中を覗いたところ、

付属の電池は、見覚えのあるPanaasonic?と思いきや
似てるがちょっと惜しいぞ Penesamig!

「パナソニックさんのライセンスを取りたかった、本当は。でもね、何度言っても訛ってしまうのです。生まれ育った雪国の、お国訛りがぬけなくて。ぺな、ぱね、ぺねすにっぐ、ぺねさみっぐ・・・ほらね、何度言っても無理なんですよ。えぇ、うちの会社の目印は、りんごのマークです。いえ、マッキントッシュさんを真似たつもりなどございません。雨ニモ負ケズ風ニモ負ケズ、日々苦労してりんごを育てるふるさとの父母に、リスペクトを捧げたかっただけで…。」

――とでも言い訳するのかしらん、両社に訴えられたら。

これくらいの低い「パクり度」だったら、両社も気にしないのでしょう。マリのみならずいわゆる発展途上国は、こうしたコピー・ロゴのパラダイス。いつもは真似された会社には失礼ながらも、Natiomal(ナショマル)とかSomy(ソミー)、YAMAMA(ヤママ)といったちょっと間の抜けたネーミングに、「近いが惜しい!」と一人で笑っています。

でも、今回のわたしの調査は、パナソニックの松下国際財団からの留学助成を受けて可能になったものです。いわば、世界に名だたるパナソニック製品のおかげで、わたしは今ここで仕事ができるのです。なので今回ばかりは、ちょっと複雑な心境。

ちなみに、電池を交換してもだめでした。ぺしぺし叩いたら一瞬だけはかなく点灯したので、どうやら電池とスイッチの接触が問題のようです。

ペネサミッグには、濡れ衣をかぶせてしまいました。
ごめんね、ぺねさみっぐ。君はどこか哀しい。

2009年4月7日火曜日

日本の歌を聞かせておくれ。

こんにちは。今日は暑く、正午には43度。でもまぁまぁ元気です。

さて、マリの人は歌が好き。

マリでよく、「日本の歌をうたって聞かせてよ」と言われます。そう頼まれるといつも困ってしまい、「おんちで恥ずかしいから、やだ」などと言って逃げます。「日本の歌」といってもあらゆるジャンルがあるので、これぞ日本の歌!とか、日本っぽい歌、という曲の選択に、非常に困るのです。

うっかり選択を間違って、わたしの好きなNumber Girlなどをアカペラで歌って、マリの友達に「まぁ、日本の歌って変!」と思われても哀しい。せっかくなら、マリの人にもすてきだな、と思ってもらえる歌を紹介したい。そんなこんなでいつも、これ!という選曲ができないでいるのです。

さて、昨晩も二階の奥さんらと中庭で涼んでいるときに"日本の歌"をせがまれ、例のごとく断ったら、彼女がとうとう怒った!「いつもいつもミクは断る!」。慌てて、「いや、たくさんあってどれを歌えばいいか分からないだけ」と弁解すると、なぜか、「じゃあ今から私がマリの歌を歌うから、そのあいだに何を歌うか
考えといてよ」という展開に。

彼女が、マリで全世代に知られているババニ・コネという女性シンガー(マリの中年女性だが、顔がどこか宇多田ヒカルに似ていると思う)の歌を熱唱している間に、私は急いで考えます。

マリでは、

1.カラっとしてリズムが分かりやすく、 
2.だけどどこかメランコリーもあり、
3.歌詞が早口すぎない。

そういう曲が万人受けしやすいように思います。嗚呼そろそろ彼女の熱唱が終わって私の番が来てしまう、という時に、1、2,3すべてに合致する歌が頭に浮かびました。

――ということで、おんちの私が皆さんの前で恥ずかしくも披露したのは、『コーヒールンバ』(西田佐知子ヴァージョン。古いですが)。歌いだすと、彼女から手拍子などいただいて、お、なかなか高感触。でも歌いながらふと気づきます。・・・この曲、果たして日本の曲なのか?

さて、興に乗ってきた彼女たちは、もう一曲!とせがんできます。二曲目も、困ったときのスタンダード。
『真っ赤な太陽』(美空ひばり)を歌います。彼女たちはステップをふんで踊りだし、こちらも好評です。

というわけで皆さん、「日本の歌」をマリでせがまれたときには、この二曲は"テッパン"です。皆さんも、マリにいらしたさいには、ぜひ。