2009年8月17日月曜日

ジェンネのパン屋さん。

パンの話。

ジェンネのパンはおいしいと思います。これほんと。

マリの主食は米を中心とした穀物ですが、パン食も都市部を中心に一般的です。60歳のおじさんいわく、「今ほどではないが、わたしが子どもの頃からパンはあったよ」。ということは、マリのパン食の歴史は、フランス植民地支配がはじまる1900年前後までさかのぼるのかもしれません。

地面も家もモスクもぜんぶ泥でできているジェンネは、もちろんパン窯も泥でできています。しかも薪と炭の火です。電気オーブンでなく「泥窯」であるところがおいしさの秘訣なんやろぅか?あまりパンに詳しくないのでありきたりな表現しかできませんが、いわゆる「外はカリカリ、中はふわっ、の素朴な味」。パンの種類は一種類のみです。きゃしゃで40cmくらいのバゲット、一本100CFA(約25円)なり。

ジェンネには、私の知るかぎり、15軒くらいのパン屋があります。ジェンネのパン職人は、ほとんどがフルベというエスニックの人たち(他の町ではどうなのか、調査したことがないので分かりません)。もともとフルベは牧畜民。たいていの場合、男性は牛の放牧、女性は乳製品の売り子をしています。そんな彼らがなぜパン屋?――近所のパン屋の男性ジャロさん曰く、

「パン屋の仕事は楽じゃない。毎朝早起きして、大量の粉をこねて、50度の気温の日でも窯の前で働いて、朝から夜までずっとパンを焼く。そんな根気と体力のいる仕事、ほかのエスニックにはできないね」

とのこと。たしかに、すべて手作業ですから、この暑さもあいまって、かなりの重労働です。「ほかのエスニックにはできない」のが本当かはともかく、自分の仕事に誇りをもっている姿は、すがすがしゅうございます。

パン工房はふつうの家の敷地内にあったり、そこらへんに小屋を建てて窯をかまえていたりします。ジャロさんに窯を見せてもらうと、けっこう立派な大きさでした。




【「こうやって窯にいれま~す」と笑顔で実演してくれるパン屋さん】焼くのは彼といとこの仕事。焼けたパンを自転車で市に持っていくのは末の弟、市場の前の道でパンを売るのはすぐ下の弟と奥さん。「近ごろ息子(4歳)がパンの成形を手伝ってくれるんだよね、僕のマネしてさぁ」とうれしそう。…だからなのか?近ごろ彼のところで買うのパンに、バゲットというには妙に短くぷくっと太ったパンが混ざりこんでいるのは。



【パン種】ちなみにパン種が入っているこのブリキ容器には、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)のロゴが。たくましき再利用。きっとかつての干ばつの時代には、この容器に数々の緊急支援食料が詰め込まれ、食糧難にあったジェンネに届けられたのでしょう。今は、もっちりと幸せそうなパンだねがほくほく寝転んでいます。

さて、なぜ突然パンのはなしをしたのかと言いますと、もうすぐイスラーム圏はラマダーン(断食の月)にはいります。パン窯を見学させてくれたジャロさんは、敬虔なジェンネの人びとのなかでもさらにストイックに断食を実行する人らしく、以前かれが、「断食中は自分の唾も飲み込まないぜ!」と豪語していたことを思い出したからです。

毎日大量の粉をこね、日に何度も火の前で汗をたらしながらパンを窯に入れる。そんな仕事のなかで、日が昇っているうちは水も摂らず、唾も飲み込まない(唾不溜飲はあくまで自己申告、あくまで心意気)とは…。ジェンネのパン屋さんはたしかに、あなたのような気合のはいった人にしかつとまらないのかもしれません。その働きっぷりを、あなたたちの神様はきっと見てくれてると思います。

ラマダーンは今週の木曜日から。

1 件のコメント:

  1. あ わかった?
    ぴろぴろぴろこちゃん
    なんだか若妻な雰囲気がぷんぷんで
    よかったー(男目線)
    今日はラーメン

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