2009年8月13日木曜日

ティラフ・イジェとワラ。

雨季にはいったのに、相変わらずまともな雨が降りません。ジェンネ周辺の田畑には灌漑設備がないので、雨水が頼り。耕して種まきして、あとは例年ならもう降っているはずの雨が田に入ってくるのを待つのみ――なのですが、今年はまだ降らない。このまま収穫ゼロになってしまうのか?と、皆さんとても不安そうです。

今日はかわいいティラフ・イジェ(コーラン学校の児童)のお話。

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お隣クンバ家の息子、ジャカリジャ君とアブ君きょうだい。ジャカリジャが10歳くらい、アブは8歳くらい。他の大多数のジェンネの子と同じく、小学校だけでなく、コーラン学校にも通っています。

いま小学校は夏休み中なので、子どもたちはコーラン学校だけに通います。ジャカリジャとアブも、朝7時頃、近所のおじいさんとその息子がやっているコーラン学校に出かけていきます。コーラン学校は、広場の木の下や先生の家の玄関間で開かれ、先生もたいていがなじみの近所の人(もちろん学を積んだ人ではありますが)。なので、「学校」というよりコーランの「教室」といったほうがしっくりくるような身近な感じです。

子どもたちは、コーラン学校に自分の木の板を持っていきます。木の板はジェンネ語で「ワラ」。アラビア語起源の語だそうです。これに先生や自分が、インクでコーランの一節を書き、なんども復唱して覚えます。覚えたらインクを水で洗い流し、また新しい節を書いて覚えます。ジェンネでは朝方、小さな子どもたちがこの板を持って、それぞれのコーラン学校へ向かっている姿が見られます。寝ぼけ眼の小さな子どもが、大きなワラを胸に抱きかかえてトコトコ歩いている姿は、とてもかわいらしい。

兄ジャカリジャは最近、いつでも自分の後をついてこようとする弟アブのことを、すこし疎ましく思っているようです。兄は弟を疎ましく思い、弟は兄の真似をしたがる、そういうお年頃の兄弟。今朝も兄は、弟を置いてひとりで先にコーラン学校に行こうとしていました。それを見つけてアブが「あっ!ジャカリジャ!ジャカリジャぁ!ねぇ、待ってよぅ」と板を抱えて急ぎます。「いっつもいっつもジャカリジャジャカリジャって、うるさいんだよお前は!」とジャカリジャが振り返りざまに言ったそのとき、アブ、急いだあまり派手にこける。ワラが落ちる。

アブはあわててワラを拾い、さっとからだをかがめて、ワラが落ちた地面を右手で触ります。その右手で自分の頭を触り、地面、頭、地面、頭――と黙ってすばやく三回繰り返す。そうしてようやく、兄のもとにトコトコと駆けていきました。普段は、毎回同じ悪さや失敗をしてお母さんに厳しく叱られ、それでもぼ~っとしているような呑気な子ですが、この動きはとてもすばやく、その姿はどこか厳かな感じすらしました。

ジェンネの子どもたちにとって、ワラはコーラン、つまり預言者ムハンマドを通じて語られた「神さまの言葉」を書き付けた板です。それを落とすということは、あぁ、せっかく覚えて頭に入れた神さまの言葉が、こぼれ落ちちゃうよぉ!――ということで、ワラが落ちた地面を触り、頭に「戻す」のです。こうした作法も、コーラン学校の先生が教えます。先生も親も見ていないところで、しかもお兄ちゃんを追いかけて大慌てのときにも、この作法をしっかり守る。そのアブの姿が、けなげでいじらしくて、きゅんとしました。


【ジャカとアブ兄弟】わたしの兄が2008年始にジェンネに遊びに来たときに撮ってくれた写真です。(心君、写真使わせてもらいました。自転車世界一周旅行中の兄のブログはこちら→http://whereiskokoro.blog34.fc2.com/)

木曜日がコーラン学校の休校日。前日の水曜日のコーラン学校では、この一週間で覚えたことを忘れないように、同じように、神様の言葉をワラからからだのなかへ「戻し留める」作業がおこなわれます。学校や先生によってそのやり方はすこし異なります。

例えば、

頭から戻し留める場合。先生が「はい、じゃぁ、載せなさ~い」と言うと、生徒が自分の頭にワラを載せ、小さなお手手でおさえます。子ども、途端に黙っておとなしくなる。その子どもたちに向かって、先生がむにゃむにゃと何か言います。コーランを留めるためのお祈りです。こうしてしっかり頭に留めます。

口から戻し留める場合。先生がそれぞれの子どもの手のひらに、コーランの一節をインクや指で書きます。子どもはそれを、ぺろっとなめる。こうして「食べる」ことで、しっかり取り込みます。

どの場合にも、先生が「はい、おしまいです」と言った途端に、子どもたちは蜘蛛の子を散らすようにさーっと駆け出し、きゃっきゃとはしゃぎながらおうちに帰っていきます。その神妙さとはじけっぷりのギャップが、実に子どもらしい。

ここの子どもには、神さまのことばというのが、比喩ではなく本当に、「からだに染み付いている」のだなぁ、と思います。まぁそのわりに、「きょう覚えたとこ復唱してみて」と私が聞くと、アブは「…ん~?忘れた~ぁ」などと言って、虫を捕まえてツンツンいじったりしているのですが…。

日本で「コーラン学校」というと、一時期、とても極端な報道がありました。「タリバーン勢力の養成学校になっている」とか言われ、ぎっしり詰まって座った子どもたちが、一心不乱にからだをゆすりながらコーランを覚えている様子ばかりがテレビで流されました。
あたかもそれが、とても奇妙で不気味なもののように。

わたしはアフガンのコーラン学校の実情をよく知りませんが、あれはやはり、偏りすぎた報道だったと思います。子どもがちょっと長い言葉を暗記しようとすれば、節をつけてからだでリズムを取りながら覚えるのは、別に妙なことではありません。ぎっしり詰まって座っているのも、単にスペースがないからか、そうしたほうが、先生が生徒を指導しやすいからでしょう。これが妙なテロップやコメントとともに流れてイメージが固定されたものだから、日本で「ジェンネの子は皆コーラン学校に通う」という話しをすると、「まぁ、ジェンネってこわいところなのね、大丈夫?」と聞かれたりします。

いやいや、そんなにこわいものではない。ふつうです。だら~っと座っていたら、もちとん先生から叱られます。よくできたら誉められます。暑くてワラでぱたぱた扇いでいたら、こらっ!と小突かれるます。先生が他の子を指導しているあいだに、子供どうしでこそこそ話をしていたりもします。がっちがちの宗教人間製造工場でも、テロリスト養成所でもありません。ふつう、です。

アブのこのかわいくてけなげな仕草も、ここだけ切り取られてカメラで撮られ、「こうして、神への徹底した敬意が身体化されていくのです!」とかもっともらしいコメントがつけば、不気味な印象を与えてしまうんだろうか?ワラと神さまの言葉を大事にしている、呑気でかわいい子どもなだけなのに。

ふとそんなことも思った、ティラフ・イジェとワラのお話でした。


【あるコーラン学校の前】あっちにもこっちにもワラ。

2 件のコメント:

  1. みくちゃん
    元気そうでなにより
    こちらはゲリラ豪雨がこわくて
    洗濯物干したままお出かけすることができません
    たま

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  2. たま

    ぼちぼち元気にしとぅよー。たまも仕事忙しそうで。ゲリラ豪雨の一部でも分けてほしいくらい、こちらは雨季にはいったのに雨が降らず、みんな困っています。

    ブログ見たけど、カレー食べすぎやないかいな。新丸ビルの相手は、ぴろこちゃんか?

    こっちはあと数日でラマダーンです。ムスリムの断食月。あぁ、カレーが食べたい。

    みく

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