2009年11月21日土曜日

わたしたちの妻。

先日、ひょんなことから、ジェンネであるイギリス人の夫婦と知り合いました。3ヶ月かけて、中古のキャンピングカーで西アフリカを回っているという若夫婦。「キャンピングカーでアフリカを回る欧米人夫婦」というと、過剰にロマンチストでやけにタフなイメージ(偏見?)がありましたが、この二人は、淡々として物静か。キャンピングカーよりも図書館が似合うような雰囲気でした。こちらの家庭料理を食べてみたい、という二人の希望があり、うちの長屋に招待しました。

こちらのスタイルで、洗面器のような器をみなで囲み、ごはんを食べました。二人は熱いごはんを手で食べることに苦戦しながらも、食事を楽しめたようで満足の様子。おうちにやってきた青い目のふたりに、ちょっと興奮気味の長屋のみなさん。わたしのたどたどしい英語通訳を介して、二人にいろいろ質問してきます。

ちびっ子たちは、もじもじしながら、「目が青いと、ぼくのことも青く見えるの?」とか、「イギリスとミクの国(日本)は近いの?」といった子どもらしい質問。サッカー好きの青年は、「マンチェスター・ユナイテッドの試合を観に行ったことはありますか?」「マリ出身のサッカー選手は、イギリスでもプレーしていますか?」などなど。

そんななか、大家さんの奥さんが、「イェル・ワンデ、ノー・ゴイ・マ?」と質問しました。訳すと、「Our wife, what's your occupation?(わたしたちの奥さんよ、あなたはなんのお仕事しているの?)」です。そのとおりに英訳して、二人に伝えました。すると、ちょっときょとんとする二人。奥さんが「Our wifeって、わたしのことですよね?」と確認してきます。

マリではよく、"わたしたち"という所有格が使われます。バンバラ語で「アンカ(アウカ)」、ジェンネ語で「イェル」。たとえそれが実際に「わたしたち」のものでなくても、親しみと軽い敬意を込めて、「わたしたちの」と表現するのです。

たとえばある男性が、友だちの奥さんのことを「イェル・ワンデ(僕たちの奥さん)」と呼んだり。これはもちろん、この2人の男性が一人の奥さんを共有しているわけではなく、友人とその奥さんへの親しみからくる表現です。ほかにも、「イェル・ハルベル(わたしたちのおじいさん)、こんにちは」とか。この場合も、必ずしもその「おじいさん」は、彼/彼女の本当のおじいさんとは限りません。

きょとんとする二人に、そういったことを説明しました。久しぶりにまともに話す英語なので、フランス語からうまく切り替わらず、なんだかちゃんぽんになってしまいます。恥ずかしい。二人はわたしのそんな変な英語もどうにか理解してくれたようで、旦那さんが、「"私たちの"妻の仕事は、画材屋の店員です」と答えました。

**

ここにいると、いろんなものが「わたしたち」のもの。それは時にうっとおしいし、時に心地よい。

たとえば、「イェル・モト(僕たちのバイク)のガソリンが切れたから、ガソリン代めぐんでくれるかな?」と、突然道ばたで小銭をせがんでくる男性。小さい町なのでその人の顔は見たことがあるけど、名前も知らない。ここでは、外国人=百万長者という認識なので、こういう無心は毎日のようにあります。「貧乏だから、ガソリン買うお金がないんだよねぇ」と言い訳してくるその男性に、「そのバイクは別に"わたしたちの”じゃない。"あなたの"だ。だいたい、本当に貧乏なひとはバイクなんて買えないんじゃないですかね?」と追い返すときの、腹立たしさ。こういうときの「イェル」には、嫌悪すら感じます。

一方で、「わたしたちの」には、こそばゆい安心感もあります。わたしが大好きだったクンバはよく、他所の村から親戚や友人がやってくると、「ミク、ちょっと来な」とわたしを呼んで、皆さんに紹介してくれました。「このイェル・チュバブ(わたしたちの外国人)はミクっていってね、ザポン(日本)という国から来て、隣の部屋に住んでるのよ」。そのときの、どこかちょっぴり自慢げな彼女の表情と、「イェル」という響きは、とても大好きでした。

そんな感じで亡くなった彼女を思って切なくなりながらも、「アムールと個人主義のフランスで、ある男性がその友だちに『わたしたちの奥さん』とか言おうもんなら、『おい、お前、俺の嫁さんと何かあっただろ?!』とかいって喧嘩に発展するのかなぁ」などと、下世話なことを考えたのでした。それはそれで見ものです。

0 件のコメント:

コメントを投稿