2009年11月6日金曜日

ジェンネっ子の誇りが…

きのう18時過ぎ、ジェンネのモスクの一部が壊れてしまいました。町で唯一にして世界最大の泥の建築物であるこのモスク。ジェンネっ子の誇りです。

現在、ある外部団体の支援によるプロジェクトで、ジェンネのモスクを修繕中。その工事中に起きてしまった事故です。修繕のため壁を削っていたところ、削りすぎたようで、壁が薄くなった部分が崩壊してしまいました。けが人もでました。

町のシンボル一部崩壊のニュースは、たちまち町中にかけまわりました。知らせを聞いてすぐ、18時半ころにモスク前に駆けつけると、すでに黒山の人だかり。たいへんな騒ぎです。老若男女、みな心配そうな表情でモスクを見上げています。

正面の壁の一部が、幅5mくらいにわたってなだれ落ちていました。いつも静かに美しいたたずまいのモスクを目にしてきたので、一部の崩壊といえど、これはなかなかショッキングな光景。事故で顔にけがを負ってしまった美しい女性を見るようで、痛々しいです。

昨夜はすでに日が暮れていて写真を撮れなかったので、きょう早朝に写真を撮りに行きました。すると、カメラをかまえるわたしを、あるおじいさんが止めにきました。彼はきれいなフランス語で諭すように、「お嬢さん、これはわたしたちの誇りであるモスクだ。そのモスクのこんな惨めな姿を、写真には撮らないであげておくれ」。

わたしもこのジェンネのモスクは大好きで、この姿には胸が痛むので、おじいさんがこう言いたい気持も分かります。でも調査のためには、これはぜひ撮っておきたいところ…。あぁ困ったなぁ…と思っていたところ、モスクの修繕工事で働いている近所の大工さんが通りかかり、助け舟を出してくれました。「この子はジェンネに住んでいる子です。このモスクの姿を写真に撮って、どこかに売りつけようとしているわけじゃないんですよ。彼女の勉強のためです」と、おじいさんに説明してくれました。

というわけで、おじいさんも理解してくれて写真におさめたのですが、やっぱりモスクと住民のことを考えると痛々しいので、ここに載せるのはやめておきます。わたしも、例えば、じぶんのお母さんが体調がすぐれないときの写真など、他人に見せたくないもの。ジェンネっ子の皆さんも、それに近い感覚なのではないでしょうか。

このモスク修繕プロジェクトにかんしては、住民とプロジェクトの側でいろいろな誤解や説明不足があり、着工前の2006年には、逮捕者やけが人もでる騒動も起きています。それをどうにかこうにか鎮めて、今年にはいってスタートした修繕工事。作業員はジェンネの大工さんですが、現場の指揮者はプロジェクトから派遣されている外国人です(ただし「チュバブ(白人)」ではなく、欧州在住のアフリカの人)。この壁の一部崩壊で、また住民のあいだにプロジェクトや外国人への疑心や不信感が生まれて、ややこしいことにならないことを祈ります。

今回の崩壊について、いろんな人に意見を聞いてまわると、皆さんそれぞれに違うことを言います。たいていが、作業員の仕事のしかたやプロジェクトそのものに対する不満です。でも最後は必ず、「…でも、これも神さまがなすったことだ。神がそう望まれたのなら、われわれにはどうしようもない」と締めくくります。

壁の崩壊はたしかに人為的なミスだろうし、住民の皆さんもそれは十分承知のようですが、最終的にはそれもひっくるめて「神さまのなすったこと」と考えることで、いらぬいざこざやわだかまりが和らぐのでしょうか。

正直たまに、ジェンネの皆さんの敬虔さには、「なんでも"神さまのおぼしめし"とか言って、じぶんたちで努力できる/すべきところも放っているのではないか。それでいて現状に不満ばかり言って…」と思うこともあります。でもこういう場合には、信仰が対立を生むのではなく、信仰が対立をそっと回避する機能をもっているようで、ちょっと安心しました。こういう諦観にも似た捉え方も、静かに生きていくうえでの知恵なのかもしれません。

とにかく、お母さんモスク、はやくもとの姿に戻ってほしいものです。

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