2009年12月11日金曜日

届かないのよね。

マリの家庭では一般的に、手でごはんを食べます。スプーンやお箸は使いません。皆でごはんが入った器を車座にぐるりと囲み、右の手でソースがかかったお米や粟を握って食べます。お寿司のシャリを片手で握る要領です。器は地べたに置かれているので、ござの上や高さ10cmくらいの腰かけに座ります。器は大きいものでもせいぜい直径40cmくらい。その周りの手が届く範囲にぐるっと座るわけですから、大人数で大きな輪は作れません。詰めて座っても7人くらいが限界です。ちいさな子どもが含まれていれば、もう少し多い人数でも囲めます。逆に、恰幅のいい人(おもにおばちゃんたち)が含まれていれば、5人でいっぱいになるときも。

互いにぎゅっ!と近づいてごはんを食べるのは、窮屈といえば窮屈です。日本でも、混みあった居酒屋でぎゅうぎゅうに詰めて座らざるをえない宴会の席などがありますが、互いの距離は、それよりもっと近い。ちょっと首を横に向けたら、となりの人の耳が目の前です。『そんなに窮屈なら、一人一人お皿に分けて食べたらいいじゃん』とお思いかもしれません。でもね、なんだか幸せなの、このぎゅうぎゅうぎゅうが。みんなでひとつの器を円く囲む、文字どおりの「団欒」です。特にわたしは兄弟が多く比較的大人数のなかで育ったからか、こっちのほうがしっくりくるのです。

ジェンネでは、大家さんご一家と一緒に、円になって手でごはんを食べています。よく、「イスラームだから男女別々にごはんを食べるんでしょ?」と聞かれることがありますが、まぁそれは、ご家庭によります。大家さんちでは、男女関係なく家族みんなで器を囲みます。わたしの知る限り、マリでは男女別に食べている家は少ないように思います。男女でなんとなく分かれて食べているご家庭も、「イスラームだから」というよりも、大家族なので全員でひとつの器を囲めないから、2,3個の器に分かれて食事をしている、という感じです。人数が多いと、自然とそれぞれの器に大人が配置されて、お父さんと小さい子どもたちの器/お母さんと年長の子どもたちの器、といった感じの分かれ方をしたりする。

話はちょっとそれますが、日本でマリでの食事の話になると、必ずと言っていいほど、「イスラームだからやっぱり男女別々に食べるんでしょ?」と聞かれます。この質問には、ちょっと違和感があります。別にコーランに「男女別にごはんを食べないとだめですよ」って書いてあるわけでもなし。世界のあちこちに何億人もムスリムの人がいるんだから、ごはんの食べ方は、それぞれの地域やご家庭、時と場合によっても違うでしょうよ、それは。

さて、ある日のお昼ごはん。大家さんちでいつものように円になってごはんを食べていると、すぐとなりに座っていた大家さんの娘さんが、わたしにこう言ってきます。「ミク、もうちょっと器から離れてくれるかしら。わたしの腕がミクの頭に当たりそうで食べにくいのよね…」。そう言われてほかの皆をみると、たしかに、わたしだけ器に近い。絵に描くとこんな感じです↓皆が座っている円周上から、一人だけ内側に入っていました。なるほどひとりだけ器に近づいていると、左隣のひとが腕を伸ばすときに、わたしの頭が邪魔になるわけです。


「あ、ごめんごめん、気づかなくって」と詫びて、皆が描く円のラインまで、15cmほど後ろに下がりました。すると――あぁ困った。手が器まで届かないよぅ。ごはんが食べれないよぅ。なぜ自分だけ、いつのまにか他のみなさんより器側に寄っていたのか、ようやく分かりました。腕のリーチが短いからだった…。器までぴんと腕を伸ばしてごはんをすくおうと頑張るわたしを見て、今度は娘さんが、「あ、ごめんごめん、気づかなくって。腕が届かないから寄ってたのね。内側に戻って大丈夫よ」と詫びてくれました。「うん、届かなかったよね…」と、つつつ、と再び器に寄るわたし。

嗚呼、なにがショックって、そう気づいて改めて見てみると、わたしより身長の小さな(140cmくらい)子も、皆と同じ距離に座って腕が器まで届いとるやんか! そんなにわたしの腕って短かかったっけ? 日本人としては長くも短くもない、ごくごく平均的な腕の長さだと思うのですが。ということは、こちらの人の腕が長いのでしょう。たしかに、高い棚の上に載っているものを取ろうとしてわたしがピョンピョン跳ねていたら、わたしより小柄な子が、跳ねることなくひょいと腕を伸ばして、たやすく取ってくれたことがあったな…。

というわけで、幸せな一家団欒ですが、わたし一人だけちょっと円から外れています。それでもまぁ、皆でぎゅうぎゅう詰まって食べていることに変わりはなく、食事はおいしゅうございます。わたしの頭が右のひとを邪魔しないように、ちょっと後ろにのけぞり気味で食べなきゃだな。



15年くらい前までは、皆で囲むごはんに、このような木の器が用いられていたそう。継ぎ目がなく、太い木をくりぬいて作っている固い木器です。これは直径40cmくらいですが、両手でよいしょと持ち上げないといけないくらい重い。この黒い色は、バオバブの木の葉を粉にして、カリテ油と混ぜて塗りこんだもの。とても端正なフォルム・質感の器ですが、今ではプラスチックやステンレス製の器にとって代わられ、ほとんど見かけません。おじさん世代の大家さんはこれが妙に懐かしいらしく、お祭りのときなどに、物置の奥から引っ張りだしてきて使っています。これを川辺まで持っていって洗わなければいけない娘さんたちには、「パパ、これ、重いから洗いにくいのよね」などとあっさり文句を言われていましたが。

1 件のコメント:

  1. 面白いエピソード。
    リーチが短かったらそうなるよねぇ。うん。
    周りの人の反応など、光景が目に浮かびます。(笑)
    木の器が使われていたとあるけれど、現在もよく水運びに使われているひょうたんは、やはり水専用なのでしょうか?
    切り方を工夫したら、器としても使えそうだけど・・・。鉄はまあいいとして、プラスティックの洗面器とかで食べるよりはいいような・・・。

    返信削除