2009年6月30日火曜日

女の一生。

こんなタイトルの遠藤周作の小説がありましたね。長崎のキリシタンをめぐる物語。二部のほうはイマイチでしたが、一部「キクの場合」にはなかなかに迫るものがありました。

さて、タイトルは同じでも、ジェンネの女の一生の話。

マリは子どもだらけです。とくにジェンネは人口も建物も稠密しているので、やたらと子どもが目立ちます。決して大げさでなく、1m歩けば1子ども、5メートル歩けば1赤ちゃん、10m歩けば1妊婦。

確かに赤ちゃんはかわいいですし子どもだらけの生活も愉快ですが、同時に、ずいぶん早い年齢からぽこぽこ産みすぎな傾向にあるな、とも思います。「それは"日本に比べたら早い"のであって、こちらではそういうもんなのだからとやかく言うのはお節介かな」と思っていましたが、おばあさんたちにいろいろ話を聞くと、どうも違うみたい。

日本の晩婚化の傾向とは逆に、ジェンネでは早婚化しているそうです。昔の統計が手元にないのでマリ全体の傾向は知りませんが、少なくともジェンネでの結婚年齢は早まりつつあるよう。複数のおばあさんから聞いた話によると、今80代のおばあさんの世代では、30、32歳まで結婚しない人も珍しくなかったそう。それゆえひとりの女性が一生で産む子の数も、今に比べて少なかった、と。

おばあさんの世代は、子どもの頃にはコーラン学校に行ってアラビア語の読み書きを学び、大きくなるとコットンの糸紡ぎや魚の行商などで家計を助け、同年代の女の子たちでかご編みなどしながら夜遅くまでおしゃべりし、また朝になると仕事にでかける――大変だったけどとても充実した日々だった、といいます。毎年弟とコートジボワールまで布の買い付けに行って各地で売りさばいていた人とか、病弱な弟のためによい伝統薬を求めて2年間諸国を回った、など、行動範囲も今のジェンネの若い女性よりぐんと広い。そうして20台後半や30くらいになって、幼馴染や近所の人、行商先で知り合った人などと結婚。2, 3人、多くても4人くらいの子どもをもうけ、仕事も続けた、と。

読み書きそろばんを学び、手に職をつけ、あちこち見聞きして、あるていど大人になってから結婚して、じゅうぶん養えるだけの数のこどもを産み、仕事も普通に続ける。はなしを聞いていると、まぁもちろん大変な生活ではあったと思うけれど、豊かですてきねぃ、と感心します。それが、5,60年くらい前の話です。

ではなぜ、最近のジェンネの子は早婚なのか。おばあさんいわく、「はやくに男を知りすぎるから」。・・・ほぅ。おばあさんの世代では、多くの娘が結婚するまで男性を知らなかったし、男性の側も、若い女性たちとおしゃべりはしても、「手は出してこなかった。それが神の教えだから」だそうです。・・・ほぅ。でも今は、まぁ若人の諸君、かなりゆるやか。日本とそう変わりはしません。

親の世代は、子どもたちがそうしたことに緩くなりつつあることを知ってはいても、それを容認しているわけではありません。自分の娘がすでに男性と関係をもったと知るや、大慌てで婚約や結婚をセッティング。このままこんなことをあちこちで続けられてはたまらない、ということのようです。もしくは、とても若い(幼い)時期から許婚をあてがって、妙なことをしないようにコントロールする、とか。大慌ての結婚・婚約相手が娘と関係を持ったその男性である場合はめずらしく、別の「ちゃんとした」男性を探してくるといいます。

過ぎ去った日々はたいてい美しく語られるものとはいえ、話を聞く限り、昔のジェンネの女性のほうが、忙しくも、行動・交友範囲が広くダイナミックで、わたし個人の好みから言うと、楽しそう。

今のたくさんの若い女の子、とくに10代半ばや後半で子ができて「大慌て婚」をし、そのため学業も途中でやめ、これといった外での仕事も身につけておらず、一日中家でお料理と人の噂ばなしをしながら「つまらないわ、都会に行きたい、テレビの中のヨーロッパの国に行きたい…」などと愚痴って子を見ていると、なにか変だ、と思います。ヨーロッパの国についてほとんど何も知らなかった彼女たちのおばあさんのほうが、ある意味、「西欧近代的な自立した女性観」に近い生活をしていたのではないか、と。(まぁ男尊女卑的な傾向は今よりずっと強かっただろうし、便利な品々は何ひとつなかっただろうから一概には言えないけれど。)

日本や欧米の新聞・テレビ、国際機関の報告では、かなり雑に、「アフリカは子どもの出生率が高い」と言われます。そして女性が子どもをたくさん産む原因は、「子どもは貴重な労働力と考えられているから」とか「早婚の慣習があるから」などと一般化されます。「アフリカの遅れ」が、出生数の高さ、人口爆発の原因のように語られます。

うーん…、どうなのかね?ジェンネに早婚の慣習はなく、話を聞けばむしろ、近年になって早婚化の傾向。また、子どもが貴重な労働力であるなら、なにもかも手作業だった60年前のほうが子どもの数は多いはず。農作業にトラクターを使う現在、ほとんどの子どもが近代学校に通って日中は働けない現在、なぜ8人も10人も子どもが必要なのか。そして養えずに人に預けたり、子が病気になっても薬を買うことすらできないで死なせてしまたりするのか。

おばあさんはそれを、「はやくに男を知りすぎるから」と説明しました。もちろんその前に、80年代の干ばつ以降から現在までつづく農業・漁業・牧畜の困難が挙げられると思います。昔のように、じっとしていても魚が自分から船に飛び込んでくる、放っておいていても稲がすくすく育つような豊かさだったら、今のたくさんの子どもの数も養えるかもしれない。でも、おばあさんが挙げた理由も、うそではないと思います。

世界のいろいろな価値観、ライフスタイルがテレビや映画を通じて簡単に入ってくるようになった今、「結婚まで殿方No!」とか、「ムスリムなんだから神様の言うことを守って操を守れば?」などと女の子たちに強いるのは無理だし、非現実的。でもそれをだらっと放っておいた結果が、彼女たちいわく「つまらない」と嘆く日々、「外国に行きたい」と夢みる日々なのは、どうなのかしら…。

あるおばあさんが、わたしが「昔の話を聞かせくださ…」と言い切る前に、うんうんうんと頷きながら、「ビサンテ、アンドゥンニャ・ゴ・ボーリ、アンドゥンニャ・ゴ・ベーレ」(昔、世界は美しかった。世界は広かった)と言いました。

奇妙に偏って奇妙に肥大化して広がる「西欧化」、「グローバル化」。女の一生を窮屈に感じさせる「早婚化」。女の世界は狭くなっているのか?

昨日、アメリカからジェンネ近くの村に赴任しているボランティアの女の子が、「早くに子どもを産んでしまう女の子が多いから、避妊具とその方法を記したキットを配って、学校でレクチャーをしようと思ってるの!」と力説してきました。もちろん彼女の言っていることはすごくよく分かります。確かに大事で、少しは有効。でも、なんか違う。問題にたいする解決策が、合ってるようで、決定的にずれているような気が、しないでもない…。まぁ端的に言えば、放っておけばいいんでないかしら、と。

ここで書いたようなことやおばあさんたちの若い頃のめくるめくエピソードを彼女に伝えたかったけど、ナイーヴな人類学徒(というほど勉強してませんが)のまとまっていない意見を、うまく英語にできませんでした。彼女の横で、「いや、まぁ、それは確かに必要かもしれないけど…うん、まぁ。でもね、おばあさんが言うにはね…えっと…」などともごもご。ハッキリしない日本人だと思われてるだろうな、と、自分の英語力の致命的な低さと彼女のキラキラさに、苦笑しながらやり過ごしてしまいました。

3 件のコメント:

  1. 晩婚から早婚へ。なるほど・・・。
    そこはぜひ、この記事を英語に訳して、きらきらさんに読んでもらわないと!避妊具が解消できる問題と、そうでない問題の両方があることを。

    昔のヨーロッパ人の日本滞在記とかにも、「ヨーロッパの女性と比べて、日本の女性は行動範囲が広い」とかあって、「女性は家に従属」というイメージのみの日本社会ではなかったことも分かるよね。

    広く、長い時間軸でみていかねば。

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  2. きらきらさんに戸惑う気持ちは良くわかる。
    私も昔、インドのスラムでボランティアで英語を教えてたスウェーデン人の女の子に、「私は物乞いという制度を維持させないために、ぜったいに物乞いには何もあげないの!子どもに教育を受けさせずに物乞いをさせる親たちが許せないから!」と熱弁されて、うーん、そんな問題かねーとモゴモゴ反論しながらも、あまりのきらきらさにたじろいでしまった経験があります。

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  3. > wknぽにょ師匠

    ね、広く長い時間軸で見るとね、まぁ、避妊具がどうとかいうのも妙な感じがしたんよね。というか、たぶん皆、避妊具の使い方は知っとるんよね。町のキオスクの主要商品は、タバコ・飴ちゃん・コンドームやし。だからそんなことより、おばあさんに学校であんな話やこんな話をしてもらったほうが、おもしろい気がするんやけどね。どうなんやろうね。短期的に見たらキラキラさんのやり方のほうが有効なのかね。「有効」って、何なのかね。第一、ある人たちの生活の傾向を「問題」とみなすことが、なんかおこがましくって、常に世界の境界でもぞもぞしていたい私には無理やけどね。もごもご。

    >たまこちゃん
    あ、たじろいだ?もごもごした?いや、するよね、しちゃうよね。たまこちゃん、うえのエントリをぜひ英訳してください(無料で)。てか、日本語ですらまとまってないから無理かしらん。つくづく、英語でのコミュニケーション力をもっと上げないかんな、と思ったよ。この曖昧さとか惑いを母語以外で表現するのって、難しいね。

    キラキラさん避けのためのサングラス、人類学会で売ったら絶対売れると思う。

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