2009年10月30日金曜日

しゃんとしたひと。

月曜日に、また、お隣さんをうしなってしまいました。わたしがジェンネでいちばん慕って信頼していた女性クンバです。だんなさんが亡くなって一ヶ月半で、彼女も逝ってしまいました。まだ40前くらい。まだまだ若いのに。おうちで寝込みはじめて2週間で、みるみる元気がなくなっていって、あっというまでした。病名は分かりません。

清貧で謙虚で、曲がったことが大嫌いで、しゃんとした人でした。フィールドでお隣さんだったから特別にかんじるのではなく、これまでのわたしの人生でも、こんなに信頼できるきちんとした人に出会ったことは、とても少ない。にひひっ、と照れ笑いすると、ふだんのちょっと険しい表情とのギャップもあいまって、見とれてしまうくらいかわいかった。大好きな女性でした。

ここ数日、彼女のことばかり思い出されます。生前の彼女はよく、考えごとをして止まっているわたしを、ちょっと離れたところからじぃっと見てきた。わたしがその視線に気づいて「ん?」と彼女のほうを見ると、彼女はふっと目をそらします。そして、お米をといだり薪を割る作業に戻って、何気ないかんじで、「ミク、いま止まってたでしょ?」と、くすっと笑ってきました。楽しいこともたくさんだけど、いろいろと苦労のたえないここでの生活で、彼女の静かな気遣いにどれだけ助けてもらったか。――あぁ悲しいなあ。

もっと悲しくてたいへんなのは、お父さんとお母さんを相次いでなくした子どもたちだと思います。マリでは早くに両親をなくすケースはそれほどめずらしくありませんが、クンバの子どもたちも、どうか頑張ってほしいです。

彼女に怒られないように、めそめそ泣くのはやめて、しっかり調査・勉強をつづけたいと思います。こんなに悲しいのは久しぶりです。ほんとうにステキな人と会えたことを、彼女たちの神さまに感謝しようと思います。

2009年10月26日月曜日

巡礼の心得。

もうすぐ、メッカ巡礼の季節です。メッカへの巡礼は、ムスリムの皆さんにとって五行(信仰告白、1日5回の礼拝、ラマダーン月の断食、喜捨、巡礼)のひとつ。巡礼の月は太陰暦の12月、日本のカレンダーだと、今年は11月19日~12月17日にあたります。

マリはムスリム90%の国。たくさんのマリ人の皆さんが、メッカへ巡礼にいきます。国営放送のニュースによれば、6500人。マリからメッカに行くには、飛行機に乗ってサウジアラビアまで行って、何日間も宿泊して…と、なにかとお金がかかる。6500人は多いように思えますが、行ける人は限られています(マリの人口は約1200万人)。首都バマコにはメッカ巡礼専門の旅行代理店もあり、以前そこで調べてみたところ、いちばん安くて100万CFA(20万円)くらい。たとえば大工さんの日給が2000~3000CFAくらい、小さなキオスクを経営している人が貯金にまわせる額が、月に1万CFAくらいだそうですから、かなりの高額です。

メッカに行ける行けないにかかわらず、ムスリムの皆さんにとって、巡礼の月というのは特別なようです。マリの国営テレビの放送でも、そのムードは高まっています。「メッカでの巡礼の手順を練習する講習会を開きます」といったお知らせも流れます。また、「巡礼にむけた心得」のようなものが、寸劇形式でわかりやすく放送されます。これがなんだかおもしろい。

「心得」は3つ。寸劇のおおまかなストーリーに沿ってご紹介します。台詞はすべて、公用語フランス語でなく、マリのリンガ・フランカであるバンバラ語です。(うろ覚えなので、台詞の再現はかならずしも逐語訳ではありません。)

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〇心得1『シャワーとトイレの使い方を知ろう。』

舞台は、巡礼先のメッカの宿泊所。びしょ濡れになって驚いた様子で登場するおじさんA。トイレ兼シャワー室からでてきたところ。Aを見て「一体どうしたんだ?!」と驚く友人B。「つまみをひねったら、なんか、上からどばぁ!と水が降ってきたんだっ…!」と混乱しているA。どうやらAは、シャワーの存在を知らない。シャワーの使い方を知っているBは、「それはシャワーってやつだよ! お前、水だしっぱなしにしてきたのか?」と、シャワーの水を止めに行く。

その後ナレーションがはいり、映像とともに、ていねいに水洗トイレやシャワーの使い方が説明される。「トイレを流すときは、タンクのうえにあるボタンを押します」「シャワーの青い色がついているほうは水、赤い色のほうはお湯です。両方の蛇口をちょっとずつちょっとずつひねって、水の温度を調節しましょう」などなど。

〇心得2『外国では貨幣の価値が違います。』

メッカのとある宿泊所に泊まっている女性たち。おばさんAが、満足げに宿に戻ってくる。「ほら、このショールきれいでしょ? そうそう、礼拝用のじゅうたんも買ったのよ~ぉ」と、うれしそうに品々を自慢するA。メッカの町でお買い物をしてきたらしい。「で、いくらしたの?」と聞く同室のB。A「5000だよ」B「つまり、セーファ(CFA、マリをふくむフランス語圏西アフリカの通貨単位)だったらいくらよ?」A「へ? いっしょの5000じゃないの?」B「あんた、それが、違うらしいのよ。確認したほうがよくない?」ということで、ツアーコンダクターらしき若いマリ人男性Cが部屋にやってくる。

A「ねぇ、このお札、セーファでいくら?」C「5万CFAですね」A「うそっ…わたしそんなに使っちゃったの!? もう残りこんだけしかないのに…」と頭をかかえるA。Cがくるっと振り返って、カメラ目線でテレビの前のみんなに注意をうながします。「外国の通貨の価値は、セーファと一緒ではありません。気をつけましょう」

〇心得3『飛行機にのせられる荷物には制限があります。』

頭にスポーツバッグ、両手にボストンバッグ、首にも袋やら服やらをぶらさげているおばさんA。メッカに向かう旅のため、マリの自宅を出るところです。その大荷物を見て、おどろく近所のおばさんB。「そんなにたくさん荷物もっていくの? 飛行機にはそんなに積めないわよ?」A「どれも必要な荷物なのよ。大丈夫よ~、飛行機は大きいし」B「飛行機では荷物を量って、重すぎたら積めないらしいわよ」

Bの忠告を聞かずに、大荷物のまま飛行場についたA。飛行機に乗り込もうとすると、案の定、係員に止められます。手荷物1個のほかの乗客は、彼女を追い越して、つぎつぎに乗りこんでいく。

そして次のコマで、泣く泣くひとつだけバッグをもって飛行機に乗り込むA。滑走路には、置いていかざるをえなくなった大荷物が、ぽつんととり残されています。

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「巡礼の心得」というより、「はじめての海外旅行の心得」といった感じですが、この短い宣伝番組は、政府の「巡礼事務局」によって制作されています。観光局や外務省ではありません。

高い旅費がかかるといっても、水洗トイレとシャワーのついた首都の豪邸に住み、飛行機で海外旅行に何度も行ったことのあるお金持ちだけが、メッカ巡礼に参加するのではありません。トイレは穴、水浴びは井戸水をバケツで、飛行機は見たこともない、という田舎の人でも、巡礼に参加します。自分たちの村のイマーム(共同体の宗教的導師)のおじいさんを、念願のメッカ巡礼に参加させようと、村じゅうでちょっとずつお金をだしあう場合もあると聞きます。

「心得」のチョイスに、なぜあえてこの3つ? という疑問がわかないわけでもありませんが、おそらく、これまでに何度も、問い合わせやトラブルがあった事例なのだと察せられます。

皆さん、よい巡礼をしてマリに戻ってこられますように。特に、シャワーの蛇口のひねりすぎには気をつけていただきたいです。すでにシャワーの使い方を知っているはずのわたしですら、たまに「熱っ!」とか「冷たっ!」と、痛い目に遭います。

2009年10月24日土曜日

ブラコロ!

きのう、ジェンネの町を歩いていたところ、12,3歳の男の子に声をかけられました。「シノワムソ!ヒーホン!シンチャンチョ~~ン」――これは、マリの人がわたしを呼ぶときによく使うことばです。「シノワ」は中国人、「ムソ」は女の意味で、「ヒーホン」はおそらく「你好(ニーハオ)」。そのあとにつづく言葉は人によって違いますが、中国語風に適当に言っているのだと思います。

なぜフランス人には「フランス人!」と言わずに「ムシュー」とか「マダム」と呼びかけ、アジア人には「シノワ!」なのか。そこらへんの区別に、マリの人の欧米人への、「反発と同時に卑屈」という屈折した感情と、アジア系への差別意識が垣間見える気がします。なので、こう呼びかけられると、なんだかイヤぁな複雑な気持がします。でも、いちいちそれに反応していては街を歩けないくらい、この呼びかけは頻繁です。(もちろん、誰に対しても変わらず接する人たちもたくさんいます。)

たまにこの呼びかけに、空手かカンフーを真似ているらしき、妙なポーズがついてきます。これはさすがに、中国の人にも私にも失礼すぎると思うので――だって、通りすがりの初対面の人に、武道のポーズで今にも蹴りかからんとしてくるなんて。どんなしつけを受けてきたんだか――ので、わたしは「ひざかっくん」で切り崩します。こちらの人が真似るカンフー風のポーズは、たいてい不安定な片足立ち。なので、立っているほうの足のひざを裏から軽く押すと、すぐ倒れます。

こういう人たちに腹は立ちますが、怒ったわたしがひざかっくんをしてこけさせても、こちらの人はまず怒らない。あっけにとられた感じで、「ハハハ、さすがシノワ・ムソ! すごいね~その技!」などと笑って、砂をはたきながら立ちあがってくる。マリの人たちのこういう穏かさ・軽やかさは、けっこう好きです。それを見ると、『人をばかにしたような変なあいさつしてくるけど、別に根っから悪い人でもないよなぁ』と可笑しくなります。

話がそれました。きのうの男の子の話。シノワムソ、ヒーホン云々でよしておけばよかったのに、その男の子は、さらにすれ違いざまに、「ブラコロ!」と言ってきました。これにはびっくり。

「ブラコロ!」は、マリでは子どもがおとなにたいして決して言ってはいけない侮辱表現です。アメリカの道端で、まったく知らない大人に中指を立てながら、例のfからはじまる4文字ことばを発するくらい、失礼なことです。(たぶんね。アメリカに行ったことないのでよく分かりません。)「ブラコロ」ということばは、明らかに冗談で言っていると分かる場合以外に発すると、おとな同士でも大喧嘩に発展することがあります。まして子どもが見ず知らずのおとなに言うなんて、アンビリーバボー。

これはバンバラ語のことばで、「ブラ」とは「よく焼けた」、「コロ」とは「トカゲ」の意味。直訳すれば「よく焼けたトカゲ」ですが、暗に意味されているのは、「トカゲを焼いて食う奴=割礼前の人間=一人前じゃない奴、"ガキ"」。わたしの知る限りですが、マリで人を侮辱するのに、このことば以上に失礼なことばはありません。アラビア語起源の「アル・ハラム!」(不信心者!)という表現もたびたび耳にしますが、これは悪さをしたり礼を欠いた子どもにたいして親が使うことばで、侮辱というより、叱るための表現です。

さて、なんで「トカゲを焼いて食べる=割礼前」なのか。こちらには、10~20cmくらいのトカゲがたくさんいます。いまこれを書いているネットカフェの床にも、数匹がせわしくちょろちょろろろろ。マリの田舎の子どもは、たまにこれを捕まえて皮をはぎ、焼いて食べます。(肉質は鶏のササミみたい。塩をふるとおいしいらしい。)でもそれは、割礼儀礼をまだすませていないくらいの、小さな子しかしない行為だとされています。「社会性を身につけていない子どもが勢いでする野蛮な行為」といった印象。

さらに、なんで「割礼前="ガキ"」なのか。マリでは男女ともに、割礼――男の子のばあい陰茎の包皮切除、女の子のばあい陰核の一部切除――をほどこすのが一般的です。割礼の施術には国内外から賛否両論がありますが、ふるくからおこなわれ、今でもかなりの確率で行われる儀礼であることはたしかです。乳児死亡率が10%を超える(つまり10人の赤ちゃんのうち1人以上が1歳未満で亡くなる)マリでは、割礼ができる年齢までこどもが育ったということは、親や地域にとってよろこばしいこと。割礼儀礼は、親御さんと子どもにとってのお祭りでもあります。民族や地域によって割礼を受ける年代にちがいはあるそうですが、ここジェンネでは、3~10歳くらいのあいだにおこなわれます。つまり、割礼を受けていないということは、いくら大人の風貌であろうが、「ガキ」扱いなわけです。

12,3歳の子が、何を思っておとなのわたしに「半人前のガキめが!」というニュアンスのことばを吐いてきたのか分かりませんが――単にお友だちの前で悪ぶってみたかったのか、わたしがことばの意味をわからないだろうから馬鹿にしてやろうと思ったのか――、とにかく、これはイケマセン。お仕置きしないとイケマセン。とっさにその男の子の腕を力いっぱいつかんで、「こらっ!」とほっぺを平手打ち。ぺちん、という音のへなちょこビンタでしたが、さっきまでのいきりはどこへやら、男の子はわぁわぁ泣き出してしまいました。

その泣き声を聞いて、わらわらと人が集まってきました。その子の腕をぎゅっとつかんだまま、「あなた、自分の言ったこと分かってるわね!?」と叱っているわたしに、野次馬のおじさんが「どうしたんだ!?」と聞いてきます。「この子がわたしに、突然、ブラコロ!と言ってきたんです」と説明すると、野次馬の皆さんも喧々諤々。「あ~、それはいけない!」「お前、なんてことを!」「この子はまだ何も知らない子どもだ。そんなことを言われても、お嬢さん、どうか気にしちゃだめだよ」「まったく、どこの子だ!」などなど。

こうしたまわりの人びとの反応を見て、あらためて、「ブラコロ」ということばはたいそうな侮辱言葉なんだなぁ、それに、割礼してるかしてないかって、ここでは大きいことなんだなぁ、と思い知った次第です。

――ま、実を言うとわたしは割礼を受けていないので、ブラコロっちゃぁブラコロなんですけどね。あの男の子は、ある意味、間違っていない。トカゲもどんな味なのか、ちょっと食べてみたいし…。(でもそうすると正真正銘の「ブラコロ」になってしまうので、やめておこう。)


【写真1】割礼を祝うお祭りが始まるところ。盛装した子どものお母さんたちや近所の人たちが集まって、歌って踊っての大騒ぎ。この前日には、近所の人たちに盛大な食事もふるまわれます。


【写真2】 割礼後の子どもたち。近所や親戚の割礼適齢期の子どもたちを集めて、まとめてやります。このようにお揃いの服・御守を身に着けて、「大人の心得」などを歌や踊りの形式で、世話役のおばあさんから教わります。

2009年10月20日火曜日

建設ラッシュinバマコ。

所用のため月曜日から日曜まで、マリの首都バマコに滞在していました。

「めざましい発展」ということばがぴったりなくらい、今のバマコは、来るたびにどんどん「モダンに」変身中。わたしが初めてマリに来た2004年には、めったに見かけなかった新車の日本車やヨーロッパ車も、今では当たり前のようにたくさん走っています。値段を聞けば、日本で買うのと変わらない立派な金額。こちらと日本の物価の差を考えたら、日本で新車を買うよりずっとたいそうなお買い物のはずですが、わたしと同年代の若いマリ人夫婦が乗りまわしていたりします。

またバマコには、じつにたくさんの建設現場が。会社のビル、ホテル、個人の立派な邸宅、そして大規模な道路の立体交差。街の中心を流れる大河ニジェール川にかかる三つ目の橋も、ただいま建設中です。街を歩けば、つねに聞こえてくるドンカンドンカン、ウィンウィン、ガゴゴゴゴ。大きな工場のなかに住んでいるみたいです。高度経済成長期の東京も、こんな感じだったのでしょうか。

建設ラッシュのバマコには、中国の建設会社がたくさんはいっています。あちこちの建設現場で、図面を広げたりマリ人の作業員に指示をだしたりしている、中国人の男性たちを見かけます。

バマコで居候させてもらっているお宅のとなりも、マンションの工事現場でした。毎日、早朝5時から夕方5時くらいまで、みっちりお仕事がつづいています。ときには真夜中にも、重機が元気に稼動する音が聞こえてきました。ライトもないのに、暗闇のなか重機作業して大丈夫なんだろうか。

この現場も、例にもれず、中国の建設会社が請け負っています。作業員はマリ人の若い男性たち。中国語の怒号は、中国人責任者の男性の声でした。「うわぁ厳しいなぁ、そんなに怒鳴らんでもよかろうに…」と思いながらその怒号を聞いていましたが、居候先の方いわく、「別に怒っているわけではなく、マリ人の作業員に指示を出しているだけらしい」とのこと。どう控えめに聞いても、中国語の分からないわたしには、彼が怒りまくっているようにしか聞こえない。

たしかに現場の様子を見ていると、この責任者のおじさんがいなくなった途端に、作業員のマリ人のお兄さんたちは、おしゃべりに興じたり昼寝をはじめたり。あきらかにだれてしまいます。だからまぁ、現場責任者としては、これくらい厳しく接さないといけないのかもしれませんが…。

とってものんびりと、とってもせっかち。どちらも極端やなぁ、と、その漫画のようなコントラストを窓から眺めていました。「中国の会社から相場より安い値段で雇われているから、マリ人の作業員は隙あらばサボタージュしようとしているらしい」といううわさもバマコではよく聞きますが、さすがに責任者のおじさんの前で、作業員のお兄さんたちに日給を尋ねることははばかられました。真相は分かりません。

バマコからジェンネへ帰る日、長距離バスに乗るため、まだ暗い早朝5時に居候先を出ました。すると道端で、隣の現場のおじさんが、指先までぴんと伸ばして力いっぱい体操している姿を見かけました。おじさんは、家やホテルではなく、現場近くの掘っ立て小屋のようなところで、ひとりで寝起きをしているようです。たしか前夜は、作業員が帰った夜中にも、自ら重機を操縦して作業していたのに。いやぁ、すごいパワー。会社から派遣されて、中国の家族と離れてもりもり働いて、ひとりで小屋に寝起きして、伝えようと声を張るあまり現地の作業員には疎まれて…早朝からキビキビ体操にいそしむおじさんのその姿が、わたしにはちょっと切なく感じました。

ちなみに、マリ人の作業員のお兄さんたちは、中国語を話せません。責任者の中国人のおじさんは、フランス語も現地語も話せません。それでもなんとか指示が伝わっているっぽいのは、やはり声の大きさのおかげか。よく「愛があれば国境なんて」と言いますが、「声を張れば国境なんて」ということなのかしら。

中国ビジネスinアフリカ。自分流を通しすぎてもいけないし、郷に入れば郷に従いすぎてもいけないし。いろいろ難しいよなぁ、と思うのでした。






写真は、ジェンネ~バマコ間の道にあった、建設中の鳥のマンション。マリは国内4か所(トンブクトゥ、ガオ、ペイ・ドゴン、ジェンネ)の世界遺産めぐりだけでなく、バードウォッチングのスポットとしても、外国人観光客に人気です。欧米から「鳥を見にきた」という観光客もたまに見かけます。鳥マンションも、いたるところにあります。

2009年10月10日土曜日

ネズミとの闘い、ジェンネにて。 La lutte contre la souris à Djenné

長いことネズミに悩まされてきました。ジェンネのわたしの部屋には、ネズミが出没します。わたしのところに限らず、ジェンネのたいていの家で、やつらは我がもの顔でチューチュー走り回っています。

わたしは人間以外の動物に特別な愛情をかたむけることはあまりないけど、かといって苦手とか嫌いというわけでもありません。笑顔で撫でまわすわけでもなく、大慌てで逃げ出すわけでもない。動物からしたら、もっとも害のすくないタイプの人間かもしれません。

そんな動物にニュートラルなわたしも、ジェンネのネズミは嫌い!かれらには腹を立てています。日本の都会に住んでいるとあまりネズミを見かけませんが、ジェンネにはわんさかいます。

ひとが眠っているときに、2,3匹で楽しげにわたしのまわりを走りまわって安眠を邪魔する。お茶パックや砂糖などを保管している袋を開けると、「ちゅっ!? びっくりしたっ!」と叫びながら飛び出してくる。それにかれらは、小さなフンをたくさんする。そんな小さな体でこれほどお通じが良くて大丈夫ですか? と余計な心配をしてしまうくらい、ぽこぽこ出しては部屋のあちこちに置いていく。わたしの大事な本に、たまにおしっこもひっかけていく。よりによってなぜ本の上に。このおしっこがまた、かなり独特な臭いで、とても気に障る。たまに、昼寝しているわたしに勝手に突進してきて、勝手にびっくりして噛みついてくる。

なにが悔しいって、これだけの悪さをするくせに、見た目がとってもかわいいことです。夜中に物音がして、「また出たな、鼠小僧!」と、ランプをかざしながら部屋の隅に追い詰めたときの、ネズミのその姿ったら。突然の光におびえて微動だにできず、ちぃちゃくて、尻尾はしゅんと垂れ、いつもより弱々しく「…ちぅ…」と鳴く。こちらを上目遣いに見やって、許しを乞うてくる。くそぅ、かわいいじゃないか。わたしがそのかわいさにも屈せず、退治しようと棒を振りかざすと、「ふっ、ちょろい人間め。わたしのかわいさにひっかかりおって」と言いながら、さっきまでの硬直が嘘のように、チュチュチュ! と勢いよく逃げていく。憎たらしいっ。

そんなネズミとの攻防をつづけて数ヶ月。先日、ネズミ事件が起きました。その前夜、お祭に向けた町内の話し合いに参加して、夜10時半頃に部屋に戻ってきました。扉を開けたら、部屋がとても臭い! 家を出た午前中にはしなかった、なにかが腐った臭いがする。不審に思いましたが、この日は暑いなかずっと外で調査してへとへとに疲れていたので、臭いのもとは追求せず、いつものように屋上で寝ました。さすがに部屋の外までは、臭いはもれてきませんでした。

そして翌朝。早朝のさわやかな日光のなかで部屋を隅々見まわして、臭いの原因が判明。――あぁ、床のうえでネズミが死んでいるよ。しかもどういうわけか、つぶれて腐っているよ。おえっ。ジェンネの道端では死んでしまったネズミをよく見かけますが、たいていはすでにカラっと乾燥しているので、そんなにむごい感じではありません。むしろどこか哀しく滑稽。でも、室内でぐじゅっとしたネズミはさすがに凄惨で、気持悪い。そして臭い。

あぁ、朝からめんどうな事件に巻き込まれてしまった…。できれば見なかったことにさせていただきたい…。でもこの臭いはたまらないし、この状態のネズミから変な病気でももらったらたまりません。伝染病の媒介はネズミの得意分野といいますし。というわけで、ネズミ確認後30秒で、迅速にお掃除開始。こんなときつくづく、自分があまり敏感な性質の女の子でなくてよかったなぁ、と思います。鈍さも時には大事なのです。

まずはネズミのうえにどさっと砂をかけて、そのじっとり感を除去。そして砂ごとほうきですくってお外にぽい。刑事ドラマでよく見る、亡くなった形そのままをチョークで線引きしたようなネズミ形のしみが、コンクリの床についています。これが憎き敵の最期の姿かと思うと、さすがにかわいそう。そのしみに軽く合掌しつつ、においをごまかすため香水をふりかける。周辺にあった物を外に出し、豪快に水洗い。最後は部屋全体をほうきで掃いて、粉洗剤を溶いた水でコンクリの床を拭きあげる。臭いがまだ強く残っているので、こちらの伝統的なお香と木の根でできた薬を適当に混ぜて、炭にのせてもくもく焚く。朝から大掃除して汗をかいたので、自分自身も水浴びして完了。スッキリ。

水浴びから戻ってくると、お隣のクンバ姐さんが「ミク、おはよう。早朝からお掃除ごくろうさん」と声をかけてくれたので、ネズミ事件を説明しました。すると彼女は、「毒を盛れ。うちにも三ヶ月前までたくさんいたけど、毒を置いたら一匹残らずどこかへ行ったよ」と言います。三ヶ月前…うちにネズミが増えてきた頃や。姐さん、きっとその「どこか」は、隣の私の部屋です。

彼女によると、店で「殺鼠剤」が売っているとのこと。実は数週間前、スプレーの殺虫剤(蚊用)をたっぷりふりかけた粟の毒団子を手作りして置いてみたのですが、あやしさを察知したのか、ネズミは素通り。殺虫成分が強すぎて、むしろそれを作った自分の手のほうが荒れてしまう、という苦い結果に終わったことがありました。なぁんだ、店で売ってるのか。こんなことなら早くクンバ姐さんに相談すればよかった。

さっそく買ってきた殺鼠剤がこちらです。


バンバラ語で「ニニェファカラン」。1g入りで75CFA(約15円)。中身は紺色の粉。中国は天津製。中国語とフランス語表記なので、おそらく、フランス語圏アフリカ輸出向けの製品だと思われます。1g15円の殺鼠剤までアフリカに輸出とは、さすが中国ビジネス。守備範囲が広いというか、ニッチというか…。

食べかけのスイカにこの粉をふりかけて、部屋に置いてみました。スイカに毒の粉をかけながら、「今度こそは!」とどこかルンルンしている自分が、非道なやつに思えてきました。でもやはり、ネズミから伝染病をもらったりしている場合ではないので、ここは心を鬼にして毒を盛る。クンバ姐さんいわく、「1日半待て。やつらは絶対にひっかかる」とのこと。効果やいかに。

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ネズミ事件の報告を書いていると、無性に開高健の『パニック』が読みたくなってきました。彼のデビュー作なのでご存知の方も多いと思いますが、 "ネズミ・パニックもの" の小説です。中学の頃にはじめて読んだ開高作品がこれ。当時思春期の小娘にとっては、時代設定が微妙に古臭く、しかも彼の文体がどこか男くさく感じられて、いまいち好きになれなかった。思春期もとうに過ぎ、ネズミの不気味さを思い知った今なら、この作品をぞんぶんに楽しめそうな気がします。