2009年12月27日日曜日

まさかここで。

わたしは日本で、じつによく道を尋ねられる。べつに観光案内所に勤めているわけではありません。ふつうにてくてく歩いていたり、自転車に乗って信号待ちをしているだけなのですが、そういったときに、ほんとうによく道を尋ねられるのです。日本人からも外国人からも。おおげさでなく、一ヶ月に4,5回は道を聞かれるます。あと、ホームで電車を待っていると、「つぎの電車は〇〇駅には停まりますかね?」とか、スーパーで買い物していると、「トイレットペーパーとか売ってるコーナーはどこらへんかねぇ?」といったことを聞かれる場合も、ひじょうに多い。(こういう場合、相手はたいていおじいちゃんかおばあちゃん)。こうした変形バージョンも含めると、わたしの「尋ねられ頻度」は、かなりのものだと思います。

道を聞かれる回数について友だちと話す機会なんて、なかなかありません。なので以前は、まぁほかの人もこれくらい尋ねられていてるのかな、ちょっと多い気がするけどなぁ、くらいに思っていました。でもある日、たまたま友だちと歩いているときに道を尋ねられ、友だちが「…そういえばわたし今、人生で初めて道を尋ねられたわぁ!」とちょっぴり興奮気味に言っていました。30年近く生きてきて、これまで一度も道を尋ねられたことのない彼女もめずらしいとは思いますが、これで、「ほぅ、わたしは多いほうなのか」と思ったのです。

じぶんなりにその理由を分析してみると、一) あまり人と外出せずたいてい一人で歩いているので、声をかけやすい。二) 地元は福岡市、ここ7年は京都と、比較的人口が多く、よそからも人がやって来る町に住んでいるので、道に迷っている人に会う確立も高い。三) それほど奇抜な服装や髪型をしておらず、年齢的にも道を尋ねるのに若すぎず、まあまあ近寄りやすい。四) 道に迷っているらしき人がいると、つい『どうしたんやろ?』と観察してしまうので、目が合いやすい。

といったところだと思います。もしくは、顔相学的に「道に詳しいと思われやすい顔」とか?じぶんでも不思議なのが、住んでいない町(マリに行くための中継地なので、たまに短期で滞在するパリ)を歩いているときにも、これまで何度も道を聞かれたことがあるのです。もちろんパリ在住のアジア人はごまんといるので、わたしもその一人だと思って尋ねたのでしょう。そう考えると変なことではありませんが、よりによってわたしに道を尋ねなくても。パリっ子にパリの道を聞かれても、わたしゃ通りすがりの観光客さね。

前置きが長くなりましたが、そんな道を尋ねられやすいわたしが、先ごろ、とうとうレジェンドをうちたててしまいました。先月末にマリの首都バマコに数日間滞在していたとき、とうとう、マリ人に道を尋ねられたよ!これにはわたしもびっくり!

首都ではよく国際援助団体の関係者らしき欧米人をみかけるし、中国やベトナムからの移民も増えてきたとはいえ、まだまだマリでは、「黒くない人」=よその人、という認識です。わたしは日焼けしているけど、マリの人からすれば、どうみたって白めの中国人(アジア人)=よそ者。そのわたしに、なぜ道を尋ねる?そのとき、わたししかその場にいなかったとお思いでせう。いやいや、まわりには、道を知ってそうな地元っ子らしき人がたくさんいたのです。

昼下がり、バマコの道をてくてく歩いているわたしの横に、高そうな車がすぅっと停まりました。『おいおい、こんなところで突然止まって、危ない車だなぁ』と思っていると、その車の窓が、ウィーーーンと自動で下がりました(マリではまだまだ、自動で下がる窓の車はめずらしい)。そこから中年紳士が顔をのぞかせ、「マダム、ここらへんでいちばん近いBDM(マリの大手銀行のひとつ)をご存知ですかね?」と尋ねてきた。

まさかマリでも道を尋ねられるとは!その意外性に、年配とはいえ相手が男性だったので、『すわ、これは道を尋ねるふりをした新手のナンパやもしれぬ!』とも思いました。ナンパされ慣れていない哀しいわたしはちょっと警戒。でも、どうやらこの紳士はほんとうに、急いでその銀行に行かねばならない用事があるらしい。それならなおのこと、明らかによそ者の「白い人」に聞かず、地元っ子に聞けばいいのに。

たまたまさっき通った道に小さな支店があったので、「すぐそこの通りにありましたよ。でもこの道は一通だから、ぐるっと回らないといけないかも…」と教えることができました。短く礼を言い、さっそうと去っていく車。ナンバーをよく見ると、マリではなくお隣ギニアのナンバー・プレートでした。ギニアの形がプレートの隅っこに描かれていました。マリでギニアのおじさんに道を聞かれる日本人のわたし。なんだかワールドワイド。

これから年をとっても、わたしはこんなかんじで、世界のあちこちで道を聞かれ続けるのでしょうか。聞かれても答えられないときには、こっちが悪いわけではないのにやっぱり少し申しわけない気持ちになるし、急いでいるときや体調のすぐれないときに尋ねられる、無碍にもできずかといって丁寧に教えることもできず困るし…それなりに、道を尋ねられやすい人生もいろいろあるのです。でも、わたしもよく人に道を尋ねるし、ひとに道を尋ねられるのはきらいじゃないので、よしとします。

こんど道を尋ねられたら、「なんでわたしに尋ねたんですか?」って、逆に聞いてみたい。たいした理由はないんでしょうけどね。――それにしても、マリでもねぇ…。道に迷っているひとをひきつけるフェロモンでもでてるのかしら。どちらかといえば、お年頃の男性諸氏をひきつけるフェロモンのほうをだしたいのですが。

2009年12月19日土曜日

そろそろ二人目を…

イスラームでは、男性は4人まで奥さんをもてます。国によっては、たとえムスリムがマジョリティでも、法律で一夫多妻を禁じているところもあります(たとえばトルコやチュニジアとか)。なので「イスラームでは」というと語弊がありますが、すくなくともマリ共和国の法律では、4人まで奥さんをもつことは問題ありません。ジェンネでも、複数の奥さんがいる男性はめずらしくありません。かならずしもすべての男性が複数の奥さんをもっているわけではありませんが、わたしが知るかぎり、40歳以上の既婚男性の半分以上には、複数の奥さんがいます。さすがに4人の奥さん(とそれぞれが5人は産む子どもたち)を養えるひとは少数。よくみられるのは、20代で一人目と結婚して、30代後半か40代で二人目(だいたい自分よりひとまわりかそれ以上年下)をめとる、という、奥さん2人のパターンです。

さて突然ですが、ここ数ヶ月、ママドゥさんがそわそわしているの。ママドゥさんは、2007年のわたしのジェンネ滞在以来、調査助手をつとめてくれているお兄さんです。調査助手というと大げさかもしれませんが、長いインタビューをするときにジェンネ語からフランス語に通訳してくれたり、調べたい事柄があるけど誰に話を聞けばよいかまったく見当がつかないときに、「どこどこさんちのあのおじいさんに聞くといい」とアドバイス&わたしを紹介してくれたり。もちろんボランティアではなく、一緒に仕事をするときには、お金を払って働いてもらっています。34歳、本業は泥大工です。

ママドゥさんは、ジェンネの平均からしたらすこし遅い、29歳で結婚しました。ただいま結婚5年目。奥さんのニャムイさんは、飾りっ気のない、とてもさっぱりして明るくやさしい女性です。親同士が決めた結婚だそうですが、マジメすぎるところがあるママドゥさんとさっぱり明るい奥さんは、とてもバランスがとれているように思います。子どもも2歳半の女の子と1歳の男の子にめぐまれ、いやぁ、うらやましい若夫婦じゃないか!

なのになぜ、ママドゥさんはここ最近そわそわしているのか?そう、それは、「そろそろ二人目を…」と思いはじめてしまったからです。子どもの話ではありません。「そろそろ二人目の奥さんをもらいたい」とそわそわしているのです。おしゃべりしていると、なにかと「いやぁ、やっぱり嫁さん二人いたらいいよなぁ…」という話になる。わたしが未婚の美人な娘さんと仲良くしていると、「あ、そういえば、ミクの友だちのあの子さ、婚約者とかいるのかねぇ?」などと、さりげないふりをして―でも傍目には、その娘が気に入っているなっていることがバレバレな感じで―聞いてくる。

う~ん、どういうタイミングで、マリの既婚男性が「そろそろ二人目を」と思うのか?一夫一婦制の日本に育ったひと、しかも女性のわたしには、よくわかりません。日本の男性諸氏、ママドゥさんのそわそわが分かりますかね?ママドゥさんは結婚5年目、働き盛り・男盛りの30代半ば。しかも、一緒の家に住む8歳年の離れたお兄さんが、去年二人目のかわいい奥さんをもらったばかりです。そういう状況を考えると、まぁ、一夫多妻の環境のなかで育ったかれが、そわそわしはじめるのも無理はないのかなぁ…?

ある日、奥さんとママドゥさんとわたしでお茶を飲みながら話しているときにも、ママドゥさんが「いやぁ、そろそろ二人目…」と言い出しました。『また始まった…』と思ったわたしは、「ニャムイ(奥さん)ひとりで十分やん!彼女はかわいいし、よく働くし、よいお母さんだし、あなたより10歳も若いんだよ?」と言うと、ふだん静かに話すママドゥさんが、負けじとまくしたててきます。「いやいや、ニャムイが良いとか悪いっていう問題じゃないんだよ。一人目の奥さんがよくないから二人目をもらう、というわけじゃないんだ。男たるもの、やっぱり、複数奥さんがいないとね!それにニャムイ自身も、ぼくがもう一人奥さんをもらったら助かるはずだよ?家事仕事も減るし。な?ニャムイ、おまえも賛成だよな?」。当の奥さんとわたしにそう言いおえると、ママドゥさんは「ちょっとトイレ」と席を立ちました。

席を立つママドゥさんの後姿に、奥さんのニャムイさんは『やれやれ…』という苦笑い。そしてわたしに、いつものカラッとした笑顔で、「二人目をもらいたいなら、さっさともらえばいいのよ。はいはい、わたしも賛成。賛成ですよ?でもあと10年は無理ね~。あのひと、お金ないもん。誰が砂糖を買うお金もないひとのところに嫁に来るっていうのよ?ふふふっ!」。たしかに、ママドゥさんはとても有能で働き者ですが、泥大工の仕事も調査助手の仕事も、そう安定してはいない。そのうえ人がいいのか、義理を通して金銭的に割の合わない仕事を引き受けてきたりする。このときにも「3人でお茶を入れて飲もう」とママドゥさんが提案しておきながら、かれにはお茶にいれる砂糖を買うお金がなく、結局わたしが買ってきたのでした。たしかに経済的には、かれの「そろそろ二人目を…」の願いがかなうのは、今のところなかなか難しいように思います。

わたしは、ジェンネのみなさんの、神さまへの愛情にあふれた穏やかな信仰心はとても好きです。でも、4人まで奥さんをもてるというのには、どうしても違和感がある。こんなことを言うと毎回、「じゃぁ日本やヨーロッパの男性は、よそに女のひとがいないのか?僕らはそういうことをせず、ちゃんと二人目もめとって家族として一緒に生活してるんだよ?」と、意気揚々と論駁されるのです。国内の新聞も届かないこの町で、どうやってそんな日本情報を仕入れたんだか。うーん、おっしゃるとおり、日本でもヨーロッパでも、よそに女のひとがいる男性はたくさんおるわけでして…。

それにしても、「二人目がほしいよぅ!」と滑稽なほどあからさまにそわそわするママドゥさんと、それにたいして、駄々をこねる子どもを見るような目で、「はいはい、わたしも賛成よ~」と笑顔で言ってのける10歳年下のニャムイさん。――やっぱりすっごくお似合いだと思うし、ニャムイ一人で十分だと思うけどねぇ。

2009年12月11日金曜日

届かないのよね。

マリの家庭では一般的に、手でごはんを食べます。スプーンやお箸は使いません。皆でごはんが入った器を車座にぐるりと囲み、右の手でソースがかかったお米や粟を握って食べます。お寿司のシャリを片手で握る要領です。器は地べたに置かれているので、ござの上や高さ10cmくらいの腰かけに座ります。器は大きいものでもせいぜい直径40cmくらい。その周りの手が届く範囲にぐるっと座るわけですから、大人数で大きな輪は作れません。詰めて座っても7人くらいが限界です。ちいさな子どもが含まれていれば、もう少し多い人数でも囲めます。逆に、恰幅のいい人(おもにおばちゃんたち)が含まれていれば、5人でいっぱいになるときも。

互いにぎゅっ!と近づいてごはんを食べるのは、窮屈といえば窮屈です。日本でも、混みあった居酒屋でぎゅうぎゅうに詰めて座らざるをえない宴会の席などがありますが、互いの距離は、それよりもっと近い。ちょっと首を横に向けたら、となりの人の耳が目の前です。『そんなに窮屈なら、一人一人お皿に分けて食べたらいいじゃん』とお思いかもしれません。でもね、なんだか幸せなの、このぎゅうぎゅうぎゅうが。みんなでひとつの器を円く囲む、文字どおりの「団欒」です。特にわたしは兄弟が多く比較的大人数のなかで育ったからか、こっちのほうがしっくりくるのです。

ジェンネでは、大家さんご一家と一緒に、円になって手でごはんを食べています。よく、「イスラームだから男女別々にごはんを食べるんでしょ?」と聞かれることがありますが、まぁそれは、ご家庭によります。大家さんちでは、男女関係なく家族みんなで器を囲みます。わたしの知る限り、マリでは男女別に食べている家は少ないように思います。男女でなんとなく分かれて食べているご家庭も、「イスラームだから」というよりも、大家族なので全員でひとつの器を囲めないから、2,3個の器に分かれて食事をしている、という感じです。人数が多いと、自然とそれぞれの器に大人が配置されて、お父さんと小さい子どもたちの器/お母さんと年長の子どもたちの器、といった感じの分かれ方をしたりする。

話はちょっとそれますが、日本でマリでの食事の話になると、必ずと言っていいほど、「イスラームだからやっぱり男女別々に食べるんでしょ?」と聞かれます。この質問には、ちょっと違和感があります。別にコーランに「男女別にごはんを食べないとだめですよ」って書いてあるわけでもなし。世界のあちこちに何億人もムスリムの人がいるんだから、ごはんの食べ方は、それぞれの地域やご家庭、時と場合によっても違うでしょうよ、それは。

さて、ある日のお昼ごはん。大家さんちでいつものように円になってごはんを食べていると、すぐとなりに座っていた大家さんの娘さんが、わたしにこう言ってきます。「ミク、もうちょっと器から離れてくれるかしら。わたしの腕がミクの頭に当たりそうで食べにくいのよね…」。そう言われてほかの皆をみると、たしかに、わたしだけ器に近い。絵に描くとこんな感じです↓皆が座っている円周上から、一人だけ内側に入っていました。なるほどひとりだけ器に近づいていると、左隣のひとが腕を伸ばすときに、わたしの頭が邪魔になるわけです。


「あ、ごめんごめん、気づかなくって」と詫びて、皆が描く円のラインまで、15cmほど後ろに下がりました。すると――あぁ困った。手が器まで届かないよぅ。ごはんが食べれないよぅ。なぜ自分だけ、いつのまにか他のみなさんより器側に寄っていたのか、ようやく分かりました。腕のリーチが短いからだった…。器までぴんと腕を伸ばしてごはんをすくおうと頑張るわたしを見て、今度は娘さんが、「あ、ごめんごめん、気づかなくって。腕が届かないから寄ってたのね。内側に戻って大丈夫よ」と詫びてくれました。「うん、届かなかったよね…」と、つつつ、と再び器に寄るわたし。

嗚呼、なにがショックって、そう気づいて改めて見てみると、わたしより身長の小さな(140cmくらい)子も、皆と同じ距離に座って腕が器まで届いとるやんか! そんなにわたしの腕って短かかったっけ? 日本人としては長くも短くもない、ごくごく平均的な腕の長さだと思うのですが。ということは、こちらの人の腕が長いのでしょう。たしかに、高い棚の上に載っているものを取ろうとしてわたしがピョンピョン跳ねていたら、わたしより小柄な子が、跳ねることなくひょいと腕を伸ばして、たやすく取ってくれたことがあったな…。

というわけで、幸せな一家団欒ですが、わたし一人だけちょっと円から外れています。それでもまぁ、皆でぎゅうぎゅう詰まって食べていることに変わりはなく、食事はおいしゅうございます。わたしの頭が右のひとを邪魔しないように、ちょっと後ろにのけぞり気味で食べなきゃだな。



15年くらい前までは、皆で囲むごはんに、このような木の器が用いられていたそう。継ぎ目がなく、太い木をくりぬいて作っている固い木器です。これは直径40cmくらいですが、両手でよいしょと持ち上げないといけないくらい重い。この黒い色は、バオバブの木の葉を粉にして、カリテ油と混ぜて塗りこんだもの。とても端正なフォルム・質感の器ですが、今ではプラスチックやステンレス製の器にとって代わられ、ほとんど見かけません。おじさん世代の大家さんはこれが妙に懐かしいらしく、お祭りのときなどに、物置の奥から引っ張りだしてきて使っています。これを川辺まで持っていって洗わなければいけない娘さんたちには、「パパ、これ、重いから洗いにくいのよね」などとあっさり文句を言われていましたが。

2009年12月7日月曜日

マリのジャカルタ、デザインは日本。Jakarta in Mali, designed in Japan?

所用のため、ジェンネから首都バマコに来ています。

いやぁ、バマコ、バイクが多い。これはバマコにかぎらずマリ全体で言えることですが、バイクがとても多い。ここ数年で一気に増えました。しかも、ほとんどのバイクが同じものです。その名も「ジャカルタ」。

ジャカルタは、マリで大量に販売されている中国製のバイク。車体には「Super K」と書いてあるので、おそらくそれが本当の商品名です。でもマリではなぜか「ジャカルタ」と呼ばれています。いわゆるスクーター・タイプの50CCバイクです。バマコの街はジャカルタだらけ。車体の色こそちょっとずつ違えど、バマコで見かける二輪の9割以上がジャカルタといっても過言ではありません。



首都バマコのある道路。ちなみにこの写真に写りこんでいるバイクのすべてがジャカルタです。

マリでは昨年までバイク所持のための登録・免許が不要だったので、マリ国内のバイク台数の正確な数字はわかりません。(今年にはいって免許・ナンバープレート・ヘルメット着用が義務づけられたけど、守っている人はごくごく少数です。)マリの新聞Le Républicain紙の推定によると、マリ国内にある50万台のバイクのうち、30万台がこのジャカルタであろう、とのこと。ここで言われている「バイク」にはもっと大型のものも含まれていると思うので、50CCのスクーターでは、おそらくほぼ100%がジャカルタだと思います。「そんな大げさな」とお思いのあなた、マリに来たら納得よ。ジャカルタ以外のバイクを見つけることは至難のわざというくらい、ジャカルタ一色なのです。

このジャカルタ、わたしが2004年に初めてマリに来たときには一台も見かけませんでした。そもそもこんなにバイクが多くなかった。そして2007年にやってきてびっくり。バイクの台数が目に見えて増えていたうえに、よく見りゃみんなのバイク、おそろいじゃん ! バマコの人びとに聞くと、ジャカルタがマリにはいってきたのは2005年ごろ。25万CFA(5万円くらい)から買える手軽さから、たった数年で爆発的に増えたそうです。ちなみにマリ政府の発表によると、2007年のバイクの輸入額は前年比33%増とのこと。もりもり伸びてます。

それにしても、なんで「ジャカルタ」なのかしら。おそらく、中国の会社がバイクを売り込むときに、英語のありふれた商品名よりもキャッチーな呼び方を、ということで、このタイプのバイクが多そうな都市ジャカルタの名をつけた、と考えられます。以前、マリのテレビでアジアの都市についての番組があっていて、近所の皆さんとぼぅっと見ていました。「インドネシアの首都、ジャカルタ・・・」というナレーションが流れたとき、皆さんが「 ジャカルタ だって !バイクみたいな名前の街だね~」とケラケラ笑っていました。「いやいや皆さん、あっちが本家本元です」と説明するも、マリでは都市名ジャカルタの認知度よりもバイクのジャカルタの認知度の方が圧倒的に高く、みなさん納得してくれませんでした。

ジャカルタはどこの会社がつくっているんだろう、と、友人のジャカルタをまじまじ見ますと、エンジンのうえのほうに「Designed in Japan」の文字が。ほかに国名は記されていません。唯一車体に書いてある国名がJapanなので、ジャカルタを日本製品だと思っている皆さんも多いようです。うーん、それなら素直に「Made in Japan」と書くはず。「日本でデザイン」て…。

ジャカルタはお手ごろ価格ですが、びっくりするほどの頻度で故障します。街角のバイク修理屋さんは大繁盛。また、手軽にバイクが手に入るようになったうえに免許いらず(本当は要るけど)ので、事故も頻発。バマコの車道でジャカルタがひっくり返っているさまを見かけない日はありません。皆さんノーヘルでかなりアグレッシヴな運転をしています。バマコの街をいくときには、巻き込まれやしないかと、ビクビクドキドキ。都会は苦手です。

2009年12月1日火曜日

僕らが闇に隠れて越す理由。

日本でお引越しといえば、よほど何か特別な事情がないかぎり、午前中か、おそくともお昼くらいから始めるものだと思います。ほらやっぱり、夜に荷物を出し入れしていると、「夜逃げ」感が漂うしね。

でもジェンネでは、どうやら違うらしい。

前回の滞在時(2007年)に一度、ジェンネ内で引越しをしました。最初にお世話になっていた町はずれのお宅からいまの大家さんちへ、2km弱のお引越し。引越しというのも大げさな、トランクとバックパック各1個とじゅうたん、ござ、イスくらいの荷物でした。朝からルンルンとその荷物を移動させようとするわたしを、まわりにいた皆さんが止めてきました。「暗くなるまで待て」。「えー、なんでよ?暗いなかで荷物を運ぶのは大変だから、さっさと済ませてしまいましょう」と言うわたしに、さらに、「まぁとにかく、あんまりよくないから、暗くなるまで待て」

よそ者や外国人が、勝手の分からない土地(特に田舎)にやって来て、ある行為を「よくないからやめろ」と止められてしまうと、どうしようもない。こういう状況は、ジェンネに限ったことではなく、日本でもあることだと思います。どうしてダメなのかよく理由は分からなくても、押し切って実行して、悪い噂とか困った事態を引き起こすのはちょっとこわい。なのでおとなしく皆さんの言うことを聞いて、日が暮れてからお引越ししました。暗いなかでがさごそと荷物を運ぶのは、わたしの知っているお引越しのイメージとはちょっと離れていて、妙な感じでした。

さて話はいまに戻って、先日。わたしの部屋にある扇風機を、友だちの家族にあげることにしました。今の季節ジェンネは比較的涼しいので、ここ1ヶ月は扇風機を使っていません。つぎにこれを使うのはきっと、猛暑の日々がふたたびおとずれる3月くらいから。でもそのときには、わたしはもう日本に帰っている予定です。

というわけで、今のうちに人にあげることに。朝、その友だちに「扇風機いる?」と言うと、「くれるの!? あとで息子に取りにいかせるね!」と、たいへん喜んでくれました。扇風機は安いものでも1万CFA(2000円くらい)するので、超高級品とまではいかなくても、誰でも買えるものではないのです。

しかし夜8時になっても、まだその息子は扇風機を取りに来ず。忘れてるんだろうな、急ぎでもないしいいか…と眠りつこうとした夜10時に、やっと来た。寝巻き姿で「遅かったね」と扇風機を渡すと、「暗くなってからでないと、よくないですから」とのお返事。彼は懐中電灯を口にくわえ、両手でよろよろと、じぶんの背丈と同じくらいの扇風機を運んでいきました。

これもやっぱり、夜なのね。引越しだけだと思っていたけど、どうやらこういう場合の荷物を運ぶのも、暗くなってからのほうがいいらしい。それにしても、よほど暑い季節でない限り、昼間に引越し荷物を運んだほうが、なにかと作業しやすいように思うけど。というわけで、いろんな人に、なんで夜に引越しをするのかを聞いてみました。

皆さんの答えを要約すると、いわく、「明るいうちに荷物を運ぶと、あなたの家に一体なにがあるのかが、誰の目にもわかってしまうでしょ? それを隠すために、暗くなってから荷物を運ぶ」。ほぅ。でもなんで、荷物の内容がばれるとよくないの?「ここにはたくさんの嫉妬がある。荷物を見て、『あの人んちにはあれがあるんだ』『へぇ、あれも持ってるんだ…』と思うひともたくさんいる。ひとの嫉妬心をひきおこすのも、嫉妬の対象になるのも、よくない」――ほぅ、なるほど。

ジェンネのひとは、数百年の歴史をもつ古都の住民だけあって、じぶんや他人の「見栄え」を気にする人たちだなぁ、と、つねづね思っています。と同時に、こういう他人からの嫉妬も、皆さんとても気にしているように見受けられます。闇にまぎれての引越しも、そういうことなのね。

たしかに、皆が顔見知りで、互いの経済的状況や家族喧嘩も筒抜けなこの狭い町で、扇風機を持って昼間にうろうろしていたら、「それどうしたの? 買ったの?」と聞かれること必死。そのときに、「ミクからもらった」と答えようものなら、『ミクはなぜ私たちのところにくれなくて、この人のところにあげたのかしら』と思われることもありうる。「買った」と嘘をつこうものなら、『あの家は扇風機を買えるほどお金はないはずなのに…あやしい』と思われるかもしれない。

ひとつの家をぽんっと引っこ抜いたら全部の家が倒れてしまいそうなくらい、家々が背中合わせ・お腹あわせで密集しているこの町。家々のあいだを縫うようにはしる路地には、皆が顔見知りの安心感と、皆がどこか監視(というとおおげさですが)しあっている緊張感が一体になって漂っているんだなぁ、と思うのでした。

嫉妬はしないにこしたことはないし、たがいに見張っているような緊張感はないほうがいいですが、まぁ、いろんなタイプの人たちがくっついて暮らしていると、そういう気持ちが生じるのは、人の性(さが)かもしれません。(ちなみにジェンネでは、嫉妬からくる"病気"や他人からの嫉妬をそらすためのおまじない・神頼みも発達?しています。)

『これは人の性だからしかたないさ、できるだけこれを防ぐふるまい方を編み出そう』こういう"性悪説"な姿勢は、「嫉妬はよくないわ! 」「ひとを妬むなんて人間がなってない証拠なり」と固く厳格になるよりも、プラティカルな気がします。それに、人間がぎゅうぎゅうくっついて暮らしているのに、隣に誰が住んでいるのかすら知らなくて、階段ですれ違って挨拶したら無視されちゃうような日本の単身者のアパートよりも、しごく健全だと思うわけです。

うーんでもやっぱり、人の目を気にして夜に荷物を運ばなきゃならんのは大変かな。世界中のどこに住んでも「住めば都」とまでは言いませんが、どこにも心地よさと同時に窮屈さがあるもんですたい。