2009年5月18日月曜日

「チュバブ!」

またまた見知らぬ子供が、「チュバブ!(白人!)」と叫びながら、私に石やら枝やらを投げつけてきました。「おいこら!!」と追いかけるも、子供はこの町の迷路のような路地に逃げ込んでしまい、見つからず。

憤慨しながら家に戻る道すがら、これまた見知らぬ10代の女の子たちからチュバブ攻撃を受けます。「見て見てぇ、あのチュバブったら、お尻はぺちゃんこだし、醜いわね~!きゃっきゃ!」

まったく…私がジェンネ語を解さないと思って、好き勝手言いよってからに。もし私が「チュバブ」でなければ、彼女たちは見知らぬ年上の者を侮辱するようなこんな言葉は、決して言いません。

マリでも日本でも、売られた喧嘩はこちらに理があれば真正面から律儀にお買い上げの "漢"(オトコ)な私ですが、もはやその元気もなし。「あなたたちの言ったこと、分かってるわよ。わたしが醜くたって別にあんたの問題じゃないでしょ!?」と涙声を悟られないように返すのが精一杯。

とぼとぼ帰る私の背中に、「きゃぁ、聞こえちゃってたわ!あいつジェンネ語分かるんだぁ、ははは」という女の子たちの笑い声。――はぁ、もぅ、げんなり。

もちろんこうした失礼はごく一部の子供です。私にとてもよくしてくれる友人・家族・ご近所さんや、嫌がらせをする者を追い払ってくれる見知らぬ人たちもいます。でも、首都やほかの村では、こうした目に遭うことはまずありません。前回の調査以来、ジェンネでこうした理不尽な「チュバブ攻撃」を毎日のように味わいます。

外国人のわたしに限らず、よそからジェンネに来たマリ人も、よくこの町の子供の奔放さを嘆いています。ここの子供は躾がなってないのが多い、チュバブに対してやたら挑発的だ、と。本当にそう思います。私が「白人(チュバブ)」(ここでは黒くなければ基本的に"白人")であるということが、ここの子供にとってはなんだかとても、ちょっかいを出したくなる要素らしい。

まぁ、世界にはもちろん逆もあり、黒人やカラードの差別・排除は、残念ながらとても根強い。私がチュバブというだけで悪さをしてくるこの子供たちが、いつか"チュバブの国"に旅行や出稼ぎや留学で行くことがあっても、そんなひどい理不尽な思いをしませんように、と願うばかりです。(でも悲しいことに、実際はそれを避けては通れないくらい、黒人差別・ムスリム排除は"チュバブの国"で根強いのです。)つくづく、肌の色が違うってそんなにたいそうなことかぃね、と呆れます。

**

さて、愚痴ってばかりも無益なので、ちょっと記憶の回路を繋げてみる。そうして思索を展開して、ちょっと気持ちを鎮めてみる。――はて逆に、わたしが初めて「黒人さん」に会ったのはいつだろう。そして、私はそのときどう思っただろう、と。

やっぱり、驚きだったのは確かだったみたい。ハッキリ覚えていますから。いわゆる「外国人」と接したのも、それが最初じゃなかろうか。

小学校低学年のとき。たしか8つの時です。父が勤める会社に技術研修か何かで来ていたアフリカの男性を、
父が家に連れてきました。初めてテレビ以外で、しかも間近に「黒人さん」を見ました。肌の色よりも、肌とのコントラストでよりクッキリ見えたとても大きな目に、ちょっとびっくりしました。

その頃はアフリカの国名なんて知らないから、どこの国の人だったか。まだお兄さんという感じの年の頃の人。背がとても高い人だった気もしますが、うちの家族が全員小柄で、うちが狭い社宅だったら、そう思えただけなのかもしれません。

5歳上の長兄が、しきりに照れながら、学校で習いたての英語で「えっと、My name is...., I'm junior high-school student.」とか自己紹介していて、『うわぁ、りゅま君、すごい。えいごしゃべれるんや!』と感心したのを、覚えています。お兄さんは、それをニコニコと「上手だね」とか何とかいいながら、聞いていました。

次にそのアフリカのお兄さんは、ご家族の写真をみせながら、これが嫁さんで、娘で、家の前で撮った写真で…とか説明します。言葉が思うように通じないことや遠慮もあったのでしょうが、お兄さんは物腰柔らかく、穏かな印象でした。

お兄さん、まだ赤ちゃんだった私の妹を、ながーい足でかいたあぐらに乗せてあやしています。高い高いしたり、べろべろばぁしたり。『ほぅほぅ、がいじんさんも赤ちゃんのあやしかたはいっしょなんやねぇ』
と思ったのも、覚えています。

ふと私は、お兄さんの手のひらに釘付けになりました。手の甲はからだのほかの部分と同じく黒いのに、手のひらは"肌色"。『あれ?ここだけわたしたちと同じ色や…』しげしげと見て確認してみたかったけど、人の手をガッと掴んでじろじろ見るのは失礼かな、と子供ながらに思ったし、かといって「手を見せてください」と英語で言えないので、お兄さんの大きなあぐらにちんまり座っている妹を一緒にあやすふりをして、手を観察しました。チラ見です。

『あ、やっぱり、手のひらは白い。あ、よく見ると、足の裏も白い。ほかは黒いのに、なんでやろぅ?なんでここだけ白いっちゃろぅか?』

お兄さん、さすがに私の不審な視線に気づいたよう。「ん?お嬢ちゃん、どうしたの?」という感じで、目をくりっとさせて、わたしの顔を覗きこんできました。『あ、いま聞いてみようかな。でもわたし、にほんごしかしゃべれんし…』と、ちょっと緊張しました。

――ミクちゃん8歳。
その頃は、メラニン色素の生成とか、その体表での分布がどうとか、もちろん何も知りません。

お兄さんが帰るまでとにかくずっと、手の裏表の白黒がなぜだか知りたくて、でもお兄さんに直接たずねる言語能力はもちあわせていなくて、気になりっぱなしでした。

次の日、学校の先生に事情を説明して、尋ねてみました。その頃はいじらしくも、先生はなんでも知っている、と思っていた。「せんせい、なんでですか?」そしたら、退職直前のベテランおばちゃん先生は、こう答えました。「手のひらや足のうらは、あまり日にあたらないでしょ?だからよ」。

『えぇー?でもそしたら、耳のあなの中も白いはずやん!せんせい、おにいさんの耳のなかはくろかったですよ!』と思いましたが、なんとなく、さすがの先生もそれ以上は知らないような気がして黙っていました。

**

あのお兄さん、元気かなー。

あれから20年あまり。こう考えると、まぁ、ジェンネの子供がチュバブのわたしにちょっかいを出してくるのも、彼らなりの好奇心の現れなのでしょう。その表出の仕方が、わたしが子供の頃のようには控えめでない、ということなのでしょう。

…と、オトナっぽく納得してみるも、

じゃぁここの子供はなぜ「控えめでない」んだ?それはやっぱり地域や親の躾の問題なのでは?子供を甘やかしてはいかんよ、肌の色で態度を変えるようなracistな子供を育てちゃいかんよ、と、結局、怒り再燃。

**

10代の頃は、オトナになれば腹が立つこと、憤ることも少なくなると思っていましたが、むしろ逆なのね。
年とともにいくら丸くなっても、それ以上に世の中の理不尽なことや醜いことが見えるようになって、腹立たしいこと、目下増加中。

このままだと、アナーキーな怒れるおばあさんになっちゃいそうです。
アナーキー高齢者…まぁそれもカッコイイかも。

3 件のコメント:

  1. 石投げられ先輩の真視です。
    ごめんね、今日の今日までブログの存在を知らなかったよ。
    でもこれで、みくみくを遠隔ストーキングできるわ。

    さて、さっそくエントリを読んだのだけど…
    私の留学初期の記憶がぶわわぁ〜と蘇って来たよ。
    投げられたんだ、石!私も。水風船やら、ストローやら、
    そのカスもねっ。
    あれってさ、もうなんていうか、悲・怒・疑・恨・怨、
    おおよそ思いつく限りの負の気持ちを、一気にしかも盛大に
    与えてくれるわよね。

    思えば当時は、石を投げられたという事実よりも、
    そんなことをする子供がこの世にいることがショックだったよ。
    かわいい顔しているのにさ。
    でね、初めのはじめは、たっぷり涙が出た。
    寮に帰って大声あげて泣いたよ。
    事実、それが苦になって、帰国するアジア人は多かったんだ。
    だけど私はといえば、図太いのかな、回を重ねるうちに
    決して慣れてくるわけではないんだけど(慣れるわけないね)、
    あまり感情が揺れなくなってきたんだよね。そればかりか
    同情の念がわいてきた。嗚呼、なんて可哀想な子供なんだろって。

    今こうしてコメントを書いていて、自分でも驚くんだけど、
    10年経った今でも、その時の感触や、気持ちや、風景を
    気味が悪いほど生々しく覚えてるよ。
    きっと忘れたくても忘れられないんだろうな。
    いや、忘れたくはないな。

    だってその経験こそが、私の中に「差別」と「教育」に関する
    確固たる答えを与えてくれたから。今もそれは変わらないよ。
    あ、ここまで書いてなんだけど、それをコメントで
    全部伝えられることは無理だ、笑。
    とにもかくにも、その経験は、私が留学で得た、
    あるいは学んだことの最も重要なことのひとつになったよ。
    紛れもなくね。だから今度ゆっくり話そうね。

    そんなことよりなにより、みくみくは、きっと強い女の子になるよ。
    今みくみくに起きているこの事実は、とても悲しいことだけど、
    この事実に出くわせたことは…(適当な言葉がいまいちみつからない
    けれど)、あえて言うなら、“幸運”なことだと思う。
    なにしろ、それを乗り越えるための強さと、思考が得られるのだから。
    これはね、体験者の私が保証する!きっとよかった思える日がくる!

    でね、今度また同じことが起きたら、
    身の危険を感じない程度に怒りまくろう!
    負の気持ちを与えられたら、おもいっきり発散するに限るよ。
    溜め込んだってさ、な〜んのメリットもないもの。

    そ・れ・に、忘れちゃならないことは、みくみくには教養がある、
    遠くとも、同じ空の下に味方がいる。
    これらはなにものにも代え難い武器だよ。
    だから、なんにも恐れる必要はないからね。

    大好きなみくみく、異国の子らに、
    やまとなでしこの底力をみせつけてやりなさい。
    一生忘れられない“気になるチュバブ”になるのよ。

    ではまたね!ファイト!
    see you next line.
    LOVE&PEACE

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  2. > マミちゃーん

    ありがとう。
    涙がちょちょぎれそうです。
    マミちゃんらしいすてきな励ましで、すごくうれしい。

    前回の調査からかれこら1年半くらい毎日こんなこと
    されても、まぁめげずにまたここに住んで仕事しとる
    わけやから、なんだかんだ言って自分でも図太いな、
    鈍いいんやろな、とは思います。
    アメリカからジェンネに派遣されてくるボランティアの
    子たちは、2,3ヶ月で精神的に病んで帰っちゃいます。

    "なっとらん"子供に追い出される、
    なんていう人類学者のたまごとして情けないことは
    絶対ありえないので、マミちゃんの遠隔ストーキングを
    糧にがんばりますー。

    それにしても、文章のプロのマミちゃんに
    このブログを見られるのは、ちょっと恥ずかしいです。

    お仕事忙しかろうけど、無理せんごとね。
    うちのりょま王子さんにもよろしく。

    みく

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  3.  彼の名前は、『キンちゃん』です。

     20年ほど前、我が家にやってきた背の高い黒人のお兄さんの名は、『キンボ』だったか何だかの、あだ名は『キンちゃん』だった・・・。と、当時10歳の次兄は記憶しています。

     ケニア人だったろうか。あたりの国の人でした。

     やはり、2歳の差が、記憶の鮮明さの違いなんやろうか。今では、世界を自転車で駆け、どこの誰でも気軽に触れ合えるようになった兄ですが、やはり、初めて記憶に登場する外国人は、あのキンちゃんでした。
     あと、当時、マナプさんというネパール人も来たけど、未来の記憶にはあるやろうか?

     なんだか外国に行ったり暮らしたりするのが普通な我が兄妹たち。世の中の風潮と片付けるには、少々度が過ぎる、次男と長女。その源流のひとつが、幼少期、キンちゃんやマナプさんとの出会いだったのではないか?と、思います。

     世界中で、人種が違うというだけの理不尽な差別を経験していますが、それと同時に、人種や宗教や価値観の垣根を越えた、優しさと愛情に触れることも多々あります。それは、未来もご存じのとおり。

     どういう距離を取るかは、未来の判断で良いと思う。

     世の中の差別をなくすことは不可能だと思いますが、減らすことは可能。世界に30億人、差別を受ける人がいるならば、それを29億9999万9900人に減らす力は、未来にも俺にもあると思います。

     できることから、ぼちぼちガンバって行こう☆

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