今日のお昼のこと。
長屋の左隣のクンバさんから、「ちょっと来な」と呼ばれました。すると小声で「これ、いる?」と、ひょうたんの器に入った"白い粉"を見せられました。
クンバは40前くらいの女性で、旦那、子ども3人、孫1人と暮らしています。息子たちに鬼のように厳しく、働き者の質素倹約で、どんなに高熱が出ても大怪我をしても一言も痛いとかしんどいと漏らさないような、
チョット気合のはいった女性です。前回の調査からお隣さんなので、かれこれ2年半の付き合いです。
彼女が稲光りの空を仁王立ちでキッと見上げながら、ハスキーな声で「ミク、じきに雨が来るよ。洗濯物、取り込みな…」とつぶやく姿などは、実にカッコイイ。(でも笑うと一気に人懐っこくて幼い感じになる。
そのギャップがまた魅力的です。)
そんなハードボイルドなクンバから見せられた、白い粉。粗めでキラキラしていて、小麦粉ではないことは分かります。ちょっとどきどきしながら、「…何、これ?」と聞くと、クンバはそれには答えず、娘のサーに「さっきのあれ、持っといで」と顎をクイっと上げて指示します。 どきどき。
娘のサーが部屋のなかから持ってきたのは、鍋についているお米のおこげ。サーが「これを粉にしたのよぉ」と、母に似ず甲高い声で説明してくれました。
あぁよかった。クンバの白い粉は、例のブツではなかった。いやぁ、まさかとは思ったけど、ちょっとびびったよ。この粉は、おこげを杵で搗いて粉にしたものでした。
ジェンネ語でお米のおこげは「クス・イジェ」。「鍋の子ども」の意味です。ご飯の時におこげは食べませんが、捨てずにとっておいて、子どもたちが小腹が空いたときなどのおやつにします。おせんべい感覚です。
焦げすぎたおこげは、いったん水でふやかして少し天日に干して、鶏や鴨にあげたりもします。
クンバの説明によると、このクス・イジェの粉を牛乳で溶いてお砂糖を加えるととてもおいしい、とのこと。たくさん搗いたからもっていけ、と。こちらの人は、温かくて甘いミルク粥を朝食や夜食としてよく食べます。「それと同じように作ればいいの?」と聞くと、この粉で作った場合、煮詰める必要はない、冷たいほうがむしろうまい、と。うん、たしかにおいしそう。
「いいねー、いるいる」と答えると、そんなに要らないよぅ、というくらいたっぷり私の器に入れてくれました。おこげの粉と分かっていても、やはりクンバが眉間にしわを寄せながらさらさらと注いでいると、どうしても別のブツに見えて仕方ないのですが。
ありがとう、と粉を手に去ろうとすると、クンバがどすのきいた低い声で一言。「…ミク、あんた、疲れてるでしょう。今年は特に暑いしね。あんた、ちょっと痩せたよ。これは冷たくしておいしいから、たくさん食べなよ。分かったね?」
彼女は前回の滞在から、ここの慣習も言葉も何も知らない私に、「チュバブは本当に何も知らないのね」と苦笑いしながらいろいろ教えてくれました。彼女はフランス語が一切話せないので、わたしがジェンネ語を少し身につけるまでは簡単な会話すらできなかったのに。それでもおかまいなしで、教えてくれました。
例えば、わたしがたどたどしく洗濯物を手洗いしていると、黙って私の手から洗濯物を奪ってシャカシャカ手際よく洗い、ギュゥと絞って最後に一言。「ミク、分かった?こうすんのよ。まぁ、がんばりな。くくくっ」
と乾いた短い笑いを残して去っていく。そういう、気遣いです。
今回も彼女は、夏バテで痩せた私に「どうしたの~?」などとは聞かない。黙ってクス・イジェを搗いて渡す。そしてひんやりレシピを教えて、たくさん食べろと、どすの聞いた声で念を押す。
クンバらしい気遣いがとてもうれしくて、少しこころが弱っていた私は、お部屋に戻ってちょっと泣きました。
嗚呼、クンバ姐さん。あなたはいつも、ビシっと厳しくて、さりげなくやさしくて、とてもカッコイイです。