2010年9月27日月曜日

国勢調査 in マリ/日本

ひさしぶりの更新です。日本であまりに地味な生活をしているので、たいして書くことがないのです。そろそろこのブログも閉じようかしら、と思いますが、書きたいことが出てきたので、更新します。

国勢調査のときがやってきましたね。まだまだ残暑の厳しかった今月半ば、家にいると、国勢調査員のおじいさんが我がアパートにもやってきました。「9月末から調査票を配りますから、よろしくお願いしますね」。わたしは普段、玄関のドアを開け放っています(暖簾はかけているし、日が暮れると閉めるよ)。女性の一人暮らしなのに物騒だと言われますが、風が通らないのが息苦しくて苦手なの。そんなわたしを、調査員のおじいさんは「使える!」と思ったのか、矢継ぎ早にご近所さんについて質問してきます。「お隣は空き家?」「隣の隣は何時ごろご在宅か知ってるかね?」「真下の家は表札があるのに郵便物がたまってるけど、引っ越したの?」などなど。国勢調査員なんだから、どこに人が住んでいてどこが空き家なのか事前に知っていそうなものですが、これも個人情報保護法のせいでしょうか。おじいさんが自分で聞いてまわって調べるしかないそうです。これはこれは、ほんとうにご苦労様です。お隣さんたちに嫌がられないていどに、知っていることを答えました。

同じ国勢調査でも、マリと日本ではずいぶん違うなぁ、と思います。

去年、マリのジェンネに住んでいたときに、マリでも国勢調査がありました。10年に一度の国勢調査。学校の先生やお役人の人が、国勢調査票を持って家々をまわります。マリには文字を書けない人・公用語のフランス語が読めない人も多いので、国勢調査票は調査員(役所の人や学校の先生)が聞きとりして、記入していきます。

あのときの、ジェンネのみんなのそわそわ感、どきどき感といったら、とってもほほえましかった。顔の見えない、そこに住んでいるかすら分からない「国民」を把握しようとする日本の都会の国勢調査とは違い、顔が見える人たちを、「一、二、三、・・・」と数え上げるような、visibleなものでした。

ジェンネの人たちは、事前にラジオや町の集会、口コミで国勢調査が行われることは知っていたので、皆、その日が近付くと、ちょっと緊張。いよいよ調査員がやって来ると、路地で遊んでいるチビっ子たちや、川でお皿洗いをしている娘さんなども、家に呼び戻されます。別に全員がそろわなくても、大人が代表して答えればいいのですが、なんとなく普段とは違うシチュエーションに、家族全員集合。これはなぜかどこの家でも見られたことで、ほんとうにおもしろかった。

6か月以上マリに滞在している外国人も国勢調査の対象ということで、わたしも大家さんに呼ばれました。玄関間には、家長の大家さんを中心に、奥さんや子どもがずらりとおりこうさんに座っています。家族写真でも撮るのか?といったおすまし具合です。国勢調査員は、識字教室の先生をしている近所のお兄さん。いつも見かける近所のお兄さんなのに、国勢調査員のカバンをもって、首から名札をぶらさげて、調査票片手に仰々しくやってきたもんだから、皆、かなり緊張しています。「おい、イスが足りないぞ!それぞれに身分証明書をちゃんと持ってこい!」など、お父さん、ちょっと張り切る。お母さんも、遠慮する調査員に「ちょっと、これ、食べていきなさいよ!いらないの?一口でもつまんでいきなさいよ!」と、サツマイモの炊いたのを強く勧めつづけます。

調査項目は、日本の国勢調査とあまり変わりません。名前や年齢、職業などを聞いていきます。わたしの場合、マリに住んでいる期間や目的も併せて尋ねられました。わたしも大家さんに言われて、「マリでの調査許可書」とかパスポートを持って臨みました。質問に答えながら、「ちなみに、マリ滞在のためのビザはこれで、許可書はこれですっ!」と張り切って提示したら、「あ、提示の必要はありません」とあっさり言われてしまった…。大家さん一家につられて張り切ってしまったじぶんが、ちょっと恥ずかしい。

特徴的なのは、「煮炊きに使用しているかまどの種類」を聞かれたこと。たしか、「屋外で薪や炭を使う石や焼き物製のかまど」or「鉄などでできた改良かまど」or「ガスボンベを使用するコンロ」といったなかからの選択だったと記憶しています。確かに、マリの首都バマコでは、ガスボンベを使用する家庭も増えてきているようです。田舎ではまだまだ、中庭で薪や炭を使う、日本の焚火やキャンプみたいなかまどが一般的ですが。マリ政府は、そこらへんの変遷を、人口と合わせて調査しかったのでしょう。

大家さんちでは、そわそわとちょぴり浮ついたまま国勢調査が進んでいきました。いろいろ脱線する大家さんや奥さんの話を上手にかわしながら、調査項目を全部たずね、記入していく調査員のお兄さん。すべての質問が終わってお兄さんが帰ろうとするも、大家さんの奥さんは、まだサツマイモの炊いたのを食べろ食べろとごり押ししていました。おそらく、朝からこうしていろんなところで奥さん方から食べ物を強く勧められ、すでにおなかいっぱいであろうお兄さん。それでも、「じゃぁ、一口だけ」と、すこしつらそうに食べていきました。大家さんの「はい、終わったから、それぞれ仕事や遊びに戻りなさい」という声で、解散。

どこの国の国勢調査員も大変ですね。

でも、日本の国勢調査は、見えない国民が見えないままに数字になって、紙の上で不気味に管理されていくようで、とても息苦しい。日本に生まれながら、ときどき日本が強烈に不気味でいびつに感じられるのは、こういう瞬間です。

1 件のコメント:

  1. ブラジルでもトイレの数と種類(水洗か否か)、洗濯機の種類(脱水までできる機械か否か)などが聞かれます。あと、ここ数年のうちに泊まった外国人、なんてのも。私がお世話になっている家では私のことを答えてくれたらしいけど、私の「苗字は?」と言われて答えられなかったと(笑)

    日本では、私も今年初めて国勢調査に答えました。ちょっと、楽しかった!しかし、うちも日中は誰もいないので調査員の方には会えず。誰の記憶にも残らない、数字だけの記録となりました。
    情報って、慎重に管理すれば管理するほど、誰のものでもないものになっていくんやね。

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